選挙情勢分析の意義について考える
2007年 08月 04日
「マスコミは例によって、選挙予想報道ばかりやっているが、私は選挙結果の予想になど全く関心がない。というより、すべての選挙予想報道は有権者の投票行動に影響を及ぼすものであるから、それ自体、政治の民主過程を歪めるもので、本来許されないと私は思う。」
実は、私はこの見解とは全く異なるので以下に述べておきたい。
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一体なんのため?国民投票直前の意見CM規制
2007年 01月 02日
興味深いのは、自民党案だけではなく民主党も賛成しており、社民党も理解を示しているということだ。改憲派は、批判のCMが直前まで流されることを恐れており、護憲派は、資金力で圧倒する護憲派のCMキャンペーンが直前まで大量に流されることを恐れている。
要は、テレビの影響力を双方とも恐れているのだ。
それでは問う。
そこまで批判やキャンペーンを恐れる憲法改正ってなに?護憲てなんだい?
批判に耐えられない憲法改正ならいらないし、キャンペーンで改正される憲法ならば、国民にととっては「所詮はその程度」ということではないか?郵政解散などという八百長にまんまと引っかかるような国民には、立憲主義など高嶺の花ということではないか?
などと、シニカルな疑問がいくつも浮かんでくる。
15秒しかないテレビCMでは、それほど多くのことを伝えられるわけではなく、意味がないという意見もある。確かにネット広告などが発達し、CM省略の録画技術が発達している現在において、広告効果は大いに疑問がある。
だが、問題はそういうことではない。
憲法改正の国民投票という、民主主義の決定で最も重要な手続で、どれだけ多様な意見を国民に伝えられるか、ということだろう。
発想としては、消耗を避けるための自主規制ではなく、双方が平等に意見広告を流せる公的な保障制度だろう。
憲法改正は、護憲派と改憲派のデスマッチなのだ。
1週間も前からタオルを投げるような規制など無用である。
森達也「ドキュメンタリーは嘘をつく」
2006年 12月 31日
おかげで、民放で放送される早朝のドキュメンタリー番組はだいたい見られるのだが、今日も、念願だったドキュメンタリー番組をついに見ることが出来た。
森達也「ドキュメンタリーは嘘をつく」は、テレビ東京で制作されたドキュメンタリー番組。2006年民放連賞受賞作だ。
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拉致問題の「利権」が生み出す、歪んだ言論社会
2006年 10月 14日
「拉致問題、NHKに放送命令へ 総務省、明文化の方針」(asahi.com)
総務省は13日、NHKの短波ラジオ国際放送で、拉致問題を重点的に扱うよう、NHKに対する命令書に明記する方針を固めた。総務相は短波ラジオ国際放送への命令権限を持つが、個別具体的な項目の扱いを求めるのは異例だ。ただ、与野党から慎重論が出ている。
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「オシムの言葉」著者にかけられていた圧力
2006年 06月 30日
「民主主義に関する一つの概念は、一般の人びとが自分たちの問題を自分たちで考え、その決定にそれなりの影響をおよぼせる手段をもっていて、情報へのアクセスが開かれている環境にある社会ということである。民主主義という言葉を辞書で引いてみれば、おそらくそのような定義が書かれているはずだ。
そして民主主義のもう一つの概念は、一般の人びとを彼ら自身の問題に決してかかわらせてはならず、情報へのアクセスは一部の人間のあいだだけで厳重に管理しておかなければならないとするものだ。
そんな民主主義社会の概念があるかと思われるかもしれないが、実のところ、優勢なのはこちらのほうだと理解しておくべきだろう。」
(ノーム・チョムスキー「メディア・コントロール」鈴木 主税訳/集英社新書)
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人のことを笑えるのか!?「ES細胞捏造報道」と「イラク人質事件」
2006年 01月 14日
この数ヶ月、韓国国内の大騒動となったES細胞研究論文の捏造問題。当初、告発に踏み切ったテレビ局は、世論や政府からの総攻撃にさらされたが、真実が明らかになるにつれ、冷静な検証報道が増えてきている。
それでも、依然として後遺症は深い。告発したテレビ番組に寄せられる反響の4割は依然として、捏造した教授を支持する意見だという。
表現の自由について考えるところの多いこの事件。
日本にも2年前に同様に、世論や政府からの激しい攻撃にさらされた人々がいたことを、ウヨクの方々はよもやお忘れではなかろうか?
イラク人質事件は、たまたま「共産党員の息子」がその中に含まれた、その一事をもって「捏造」「自作自演」との攻撃を受け、政治家の口からも同様の発言が聞かれる始末となった。
韓国と日本、いずれも高度なインターネットが発達していることと、近年急速に歪んだナショナリズムや偏狭な愛国心が蔓延るようになったことで共通している。
そして唯一、結末に異なる点がある。韓国の場合は、そうした行き過ぎた思想風潮に修正が図られ、社会の成熟化を促す可能性があることに対し、日本の場合は、むしろこうした風潮が加速する状況を象徴する事件となったことである。
その証拠にネットに溢れる「韓国ざまあみろ」の声、声、声。
彼らのような罵詈雑言も、一応は憲法上の表現の自由の保障範囲内ではある。しかし、「公」やら「行き過ぎた個人主義の修正」やらの言葉が、同じ口から出てくるのであるから滑稽このうえない。
彼らは気付くべきであろう。
隣国を笑い者にしても、自分は幸せにはなれないということを。
長嶋茂雄に敷かれる「報道管制」
2006年 01月 09日
しかし、奇妙なことにテレビでの映像は一切流れない。
長嶋と王が同席するパーティということならば、メディアの注目を集めないはずがない。
長嶋の「動く絵」を見なくて久しいが、要するに報道上の規制が敷かれているのであろう。
別に、長嶋の「動く絵」を見て、彼の痛々しい姿を全国に晒すことを望んでいるわけではない。
だが、ジャニーズ関係者によくみられるが、日頃弱者には遠慮気兼ねがないメディアが社会的影響力のある「強者」にはおもねる現象を死ぬほど見ている。
別に、今のメディアに社会の木鐸なる役割は、全く期待していない。
フジテレビ会長氏がほざくようなメディアに「公共性」などちゃんちゃらおかしい。
ただ、そういう事象に「怒り」の感覚がすっかり麻痺してしまったことを実感するニュースだと思ったわけである。
ブッシュはアルジャジーラを攻撃したのか
2005年 11月 25日
例えば、「NNNドキュメント」は各局の持ち回りで制作されているようだが、ビジネスベースにとても乗るとは思えないような、「社会の影」に光を当てたドキュメント番組を愚直に作り続けていて、個人的に好みの番組の一つである。
今日、「米、アルジャジーラ爆撃を画策?=英首相の説得で回避-大衆紙」のニュースに接したとき、思い出したのは同番組のイラク戦争報道検証特集だった。
NNNの報道関係者がスタジオに一同に会し、イラク戦争報道にまつわるジャーナリズムの問題点について真剣に議論を戦わせた番組の1コーナーに「メディアが攻撃された日」というテーマが設けられた。
2003年4月8日、アルジャジーラ従軍記者が米軍の銃撃を受け死亡した事件は、事前にアメリカ軍に取材場所を通告していたにも関わらず起きた。そのことに対する怒りを率直に語ったアジアプレス記者のことを思い出した。
今日のニュースがこの事件の真相を解く鍵になるものではない。
だが、あの事件にもう一度光が当てられ、メディアの戦争報道について考える機会をもっと提供して欲しいと思っている。
人権擁護法案に反対する「資格」(By foresight1974)
2005年 03月 15日
スレッドの乱立だけではなく、まとめサイトもいくつか作られているようで、それなりに反響もあるようである。(例えば「人権擁護法案BLOG(臨時)」: http://blog.newsch.net/home/zk1/ など)
しかし、上記ブログの左上には「在日参政権絶対反対」の赤文字が見え、右上には「差別利権」なる文字が見える。もう、これだけでしらけてしまう。結論だけとはいえ、自分と意見を同じくする人間がこんな低劣な連中かと思うと、正直脱力してしまう。
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社説の比較検討で浮かび上がる「ウヨクの錯誤」(By foresight1974)
2005年 02月 11日
話がいささか抽象的になるので、ここで各紙社説を比較検討することによって具体的に明らかにしていこうと思う。
そもそも、私は人間的好き嫌いというレベルでウヨク的人々は大嫌いである。まあ、マユツバものとして読んでいただければ結構なのであるが、この問題に対する彼らの主張はおおよそ以下の点に要約される。
1、そもそも番組自体が公平ではない
2、安倍氏らは「公平にやってくださいね」と言っただけで圧力はかけていない
3、NHKは自主的に番組の改変を行ったのであり、朝日の指摘は捏造
このうち1については、筆者の1月13日のブログ「安倍晋三の発言にかいま見える「公平を装った無知」(By foresight1974)に詳しいので反論を省略する。
今日は、このうちの2と3の部分について以下、論じていくことにするが、産経新聞は安倍氏と心中するらしく、1の部分の指摘しかないので今回は取り上げない。また、日経社説は他紙と主張が重なっているので省略する。
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