沖縄は怒りに燃えている(2)
2007年 10月 07日
「おじい、おばあは重い口を開き、苦しい過去を教えてくれました。悲惨な集団自決があったことを」
「うそを真実と言わないでください。私たちは真実を学びたい。そして、次の世代の子供たちに真実を伝えたいのです」
「たとえ醜くても真実を知りたい、学びたい、伝えたい」
―教科書検定意見撤回を求める県民大会での高校生の挨拶より―
集団自決の史実については、まだ多くの論争の余地があると思われる。
だが、一つ確実に言えることは、この2人の高校生が「醜い真実を学ぶ権利」を、何人であれ奪ってはならないということである。
今回の県民大会に様々な批判が出始めている。
しかし、批判している人々は、この権利を奪う「危険性」に、まだほとんど気がついていない。
このことは、安倍政権の崩壊過程と比較すると、示唆的である。
安倍晋三の「美しい国」がなぜ瓦解したのか。一つは、彼が基本路線としてきた政策を国民が支持していなかったという現実。彼が「美しい国」と連呼すればするほど、一般有権者は自分が今、暮らしている生活の現実との「ギャップ」を思い知らされるのである。彼の「理念」は、多くの有権者にとっては「遠い世界の出来事」であったろう。
そして、もう一つは「美しい」を強調すればするほど、今回の教科書検定問題にみられるように、「美しくない事実」「不都合な真実」を切り捨ててしまったことである。
それがあまりにも大きかった。
安倍晋三が選挙で美しい国を連呼し、無残なCMを流せば流すほど、この不協和音は反比例の轟音となっていったのである。
それに対し、埋めつくされた群集の目の前で立派に挨拶をこなした高校生2人の言葉の方が、なんと重いことか。
埋めつくされた群集。堂々と挨拶をこなした2人。静まり返った会場に響き渡る声。
そして万雷の拍手。
このニュース映像、写真に接した沖縄県民以外の多くの国民が、「沖縄の怒り」を直観的に理解したはずである。
この事実の、なんと重いことか。
県民大会の参加動員数が実際、どの程度あったかは不明である。
産経新聞は相変わらず食い下がろうとしているが、根拠薄弱な情報に基づいており、説得力に欠けているが、この報道に基づいて、週明け以降、一部保守勢力が「巻き返し」に出てくることは十分に予想される。
しかし、保守勢力が「参加人数」の瑣末な論点を突っ込めば突っ込むほど、安倍晋三がかつて落ち込んだ穴に、深く、深くはまり込んでいくことになるだろう。
by foresight1974
| 2007-10-07 13:34
| 表現の自由への長い道距