NHKドラマ「ハゲタカ」補論(2)「法の下の巨大な不平等」
2007年 08月 20日
※2月に放送されたNHKドラマ「ハゲタカ」の再放送に合わせて再編集しました。
今回取り上げるのは、「ゴールデン・パラシュート」という用語だ。
もともとは、敵対的買収の主要な防衛策の一つで、敵対的買収の対象とされた企業の経営陣が退陣する代わりに巨額の退職金を受け取る条項をさす。NHKドラマ「ハゲタカ」公式サイトに非常に正確な解説があるので、詳細はそちらをご参照いただきたいが、ここでは経済的合理性とは異なる、別の側面からこの言葉を論じてみたい。
それは、第1回の西乃屋旅館との対比で明らかになる、「法の下の巨大な不平等」だ。
一般市民の感覚からすれば、経営判断を誤ったとはいえ、本業の老舗旅館を必死で守ろうとしている西乃屋旅館の経営者の方が、乱脈経営で経営を傾け、会社を私物化しているサンデー・トイズの経営者より優先して守られるべき、と考えるのではないだろうか?
しかし、ドラマでも見られたように、西乃屋旅館の経営者は苛烈な取立てによって自ら命を断った。一方、サンデー・トイズの経営幹部たちは巨額の退職金を呈示され、買収ファンドや銀行に金で篭絡されていく。
なぜ、このような結果になってしまうのだろうか?
それは、簡単に言ってしまえば、「借りているカネの額」が圧倒的に違うからである。
銀行が不良債権を回収するにあたっては、そこに「メインバンクの面子」という要素が入り込む。
かつて、戦後日本が不況に見舞われたとき、経営危機に瀕した大口の貸出先には、メインバンクの銀行から役員が派遣され、貸出先企業と共同で経営を再建する、ということが広く行われてきた。つまり、銀行は不況のときにも企業を支えることが責任であり、支えられるという事実が銀行の信用力、実力を示していたのである。
しかし、90年代のバブル後の不況は、一民間金融機関の力で企業の経営を再建できる程度のレベルではなく、それだけ政治の失敗が致命的な不況であった。
また、日本の銀行は自己資本比率が低く、かつ不良債権の貸倒引当金が少ない状態であった。そのため、メインバンクになっている大手銀行ですら、思い切った再建計画を打ち出せない、手が出せない大口融資先が何十社も出てきたのである。
ここに、「too big to fail(大きすぎて潰せない)」というジレンマが生じる。
本来、徹底的に回収されるべき大口融資先が、飛ばしなどの様々な手法で延命されてしまうのである。
中には、百貨店の「そごう」のように、経営者がモンスターのように居座り、企業再建を阻害する企業もあった。
そこに、「ゴールデン・パラシュート」という手法が生まれる余地が出てくる。
巨額のカネを借り、乱脈経営で会社を私物化しながら、退職金までもらえるという摩訶不思議な世界が現出される。
そして、それを結果的に追認する法律上のシステムが存在のである。
前回の記事でお話ししたように、日本の民法では連帯保証制度などのシステムで苛烈な取立てを合法化する一方、商法では経営者のお手盛り的な退職金制度を事実上容認するシステムになっていたのである。
ゴールデン・パラシュートで、NHKのドラマ監修担当が解説しているのは、あくまで「経済的な合理性」であって、それは、「公正としての正義」ではない。
経済再生を急ぐあまり、「公正」を無視した「法の下の巨大な不平等」システムが、強者と弱者の救いがたい格差を生み出してしまったのである。
今回取り上げるのは、「ゴールデン・パラシュート」という用語だ。
もともとは、敵対的買収の主要な防衛策の一つで、敵対的買収の対象とされた企業の経営陣が退陣する代わりに巨額の退職金を受け取る条項をさす。NHKドラマ「ハゲタカ」公式サイトに非常に正確な解説があるので、詳細はそちらをご参照いただきたいが、ここでは経済的合理性とは異なる、別の側面からこの言葉を論じてみたい。
それは、第1回の西乃屋旅館との対比で明らかになる、「法の下の巨大な不平等」だ。
一般市民の感覚からすれば、経営判断を誤ったとはいえ、本業の老舗旅館を必死で守ろうとしている西乃屋旅館の経営者の方が、乱脈経営で経営を傾け、会社を私物化しているサンデー・トイズの経営者より優先して守られるべき、と考えるのではないだろうか?
しかし、ドラマでも見られたように、西乃屋旅館の経営者は苛烈な取立てによって自ら命を断った。一方、サンデー・トイズの経営幹部たちは巨額の退職金を呈示され、買収ファンドや銀行に金で篭絡されていく。
なぜ、このような結果になってしまうのだろうか?
それは、簡単に言ってしまえば、「借りているカネの額」が圧倒的に違うからである。
銀行が不良債権を回収するにあたっては、そこに「メインバンクの面子」という要素が入り込む。
かつて、戦後日本が不況に見舞われたとき、経営危機に瀕した大口の貸出先には、メインバンクの銀行から役員が派遣され、貸出先企業と共同で経営を再建する、ということが広く行われてきた。つまり、銀行は不況のときにも企業を支えることが責任であり、支えられるという事実が銀行の信用力、実力を示していたのである。
しかし、90年代のバブル後の不況は、一民間金融機関の力で企業の経営を再建できる程度のレベルではなく、それだけ政治の失敗が致命的な不況であった。
また、日本の銀行は自己資本比率が低く、かつ不良債権の貸倒引当金が少ない状態であった。そのため、メインバンクになっている大手銀行ですら、思い切った再建計画を打ち出せない、手が出せない大口融資先が何十社も出てきたのである。
ここに、「too big to fail(大きすぎて潰せない)」というジレンマが生じる。
本来、徹底的に回収されるべき大口融資先が、飛ばしなどの様々な手法で延命されてしまうのである。
中には、百貨店の「そごう」のように、経営者がモンスターのように居座り、企業再建を阻害する企業もあった。
そこに、「ゴールデン・パラシュート」という手法が生まれる余地が出てくる。
巨額のカネを借り、乱脈経営で会社を私物化しながら、退職金までもらえるという摩訶不思議な世界が現出される。
そして、それを結果的に追認する法律上のシステムが存在のである。
前回の記事でお話ししたように、日本の民法では連帯保証制度などのシステムで苛烈な取立てを合法化する一方、商法では経営者のお手盛り的な退職金制度を事実上容認するシステムになっていたのである。
ゴールデン・パラシュートで、NHKのドラマ監修担当が解説しているのは、あくまで「経済的な合理性」であって、それは、「公正としての正義」ではない。
経済再生を急ぐあまり、「公正」を無視した「法の下の巨大な不平等」システムが、強者と弱者の救いがたい格差を生み出してしまったのである。
by foresight1974
| 2007-08-20 23:12
| 書評・鑑賞