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「オシムの言葉」著者にかけられていた圧力

「民主主義に関する一つの概念は、一般の人びとが自分たちの問題を自分たちで考え、その決定にそれなりの影響をおよぼせる手段をもっていて、情報へのアクセスが開かれている環境にある社会ということである。民主主義という言葉を辞書で引いてみれば、おそらくそのような定義が書かれているはずだ。
 そして民主主義のもう一つの概念は、一般の人びとを彼ら自身の問題に決してかかわらせてはならず、情報へのアクセスは一部の人間のあいだだけで厳重に管理しておかなければならないとするものだ。
 そんな民主主義社会の概念があるかと思われるかもしれないが、実のところ、優勢なのはこちらのほうだと理解しておくべきだろう。」
(ノーム・チョムスキー「メディア・コントロール」鈴木 主税訳/集英社新書)




 イビツァ・オシムJEF千葉監督の、サッカー日本代表監督就任の去就がここ1週間、日本中のスポーツ・メディアを賑わせている。
 Jリーグという華やかなスポーツ界にあって、お世辞にも話題豊富といえないクラブに、10年分くらいの取材が殺到している感がある。
 そんな中、気になっていたことがあった。
 JEF千葉サポータ歴14年の私が、あらゆる新聞に目を通して、気がついていたこと。それは、渦中のオシムを最もよく知りうる日本人のコメントが、どこにも掲載されていないことだった。
 イビツァ・オシムの半生を取材したノンフィクション「オシムの言葉」の著者・木村元彦である。
 そして今週、木村が沈黙を破ってネットに掲載したコラムは、衝撃の内容であった。

 SKY PerfecTV!の携帯サイト「木村元彦の地球を一蹴」に「川淵キャプテンに伺いたい」を題するコラムが掲載されたのは、6月29日になってからだった。

 木村は、今年の4月から一ヶ月間、再三にわたってオシムへのインタビューをキャンセルされていた。発端は、スポーツ雑誌「Number」に今春掲載された木村の記事である。「ジーコ批判(本人は否定)」とも取れる内容が協会側の不興を買ったため、JEF千葉側が協会の意向を汲んで取材を見合わせたのである。

 気骨ある木村はもちろん激怒した。結局は、JEF千葉側が謝罪したことで一応決着したが、この事件の背景となった「協会の意向」の問題は解決されていない。

『私の周囲では「川淵発言での書名の露出、部数と仕事が増えて、いいですね」とおっしゃる方が多々いる。冗談ではない!書き手を舐めるな!と言いたい。』(「地球を一蹴」より)


との木村の憤慨はもっともだ。おそらくは、ジャーナリストの現状に無知な方が軽い気持ちで言ったのであろう。
 結局、木村は「今回の件も、テレビ・雑誌でコメント取材が殺到したが、協会批判をセットで発言させてもらえない所はすべてお断りした。」というわけで、Foresight1974がよく読むような一般のマスメディアでは、木村の発言はお目にかかることが出来なかったわけである。
 ちなみに、「オシムの言葉」はJEF千葉を取材する主要メディアの記者たちがこぞって買い求めたそうである。木村のコメントを無用と思ったメディアなどあるはずがない。

 さて、木村が受けた「圧力」は、従軍慰安婦などを裁く民衆法廷に関する番組を制作したNHKの番組改ざん問題と似た構造を持っている。
 NHKの番組が改ざんされたと報じられた後、朝日新聞は報道内容の一部に誤りがあることを認めたことで、灰色決着を見ている。しかし、後にこの問題を調べ直したジャーナリスト・魚住昭は、確かに事実の一部誤認があったものの、実は朝日新聞が報じたとおり、安倍晋三、中川昭一らの圧力が存在したことが明らかにしている。

 だが、問題なのは、圧力の有無に関することだけではない。こうした「圧力」の脅威をメディア側が事前に忖度し、事前に規制をかけることそれ自体だ。特に報道機関がこうした態度を取るならば、憲法が保障した表現の自由が萎縮的効果を起こし、民主主義社会の危機を招来することになるということなのだ。
 だからNHKの番組改ざん問題も、実は圧力があったかどうかが問題の核心部分ではない。番組が放送される前に、事態の紛糾を恐れたNHK幹部らによる、安倍や中川への「ご説明」のための訪問それ自体が、実は重大な意味を持っているのである。

 イビツァ・オシムの代表監督就任問題に関する報道にも、いくつか疑問点が浮かぶ。
 まず、「オシムの就任確実」と連日メディアが報道してはいたが、その間、どのメディアもオシム側の意向を直接聞いていない。29日になって、オシムがオーストリアの自宅前で報道陣の取材に答えると、日刊スポーツが代表監督就任辞退の可能性を報じ、他のメディアも後に続くようになった。そして、結果は昨日の公式発表の通り「保留」となったのである。
 ジャーナリストでもないド素人でも、事前にオシム側の意向を確認する必要性くらい、簡単に想像がつく。なぜ、日本のメディアはそれを怠ったのか。
 そして、オシム側の意向が明らかにならない間も、オシム「就任確実」と報じ、そして代表就任への期待感を煽る報道が繰り返された。オシムの代表就任は当然で、もし、期待を裏切るような姿勢をJEF千葉側が見せようものならば、反発は必至であった。試合では逡巡せず、常に電光石火の決断力を見せていたオシムが、こと自らの代表監督就任について決して明言することなく、「千葉側と話し合う」姿勢を貫いたことは、日本のメディアの病弊を見通した、まことに賢明な判断だったといえる。

 そんな状況にも関わらず、一体なんのために、「オシム代表就任確実」なる期待先行の報道が繰り返されたのか。
 事の発端は、日本中にくまなく行き渡った。日本代表帰国当日に行われた、川淵三郎日本サッカー協会会長の記者会見である。
 代表選手の記者会見も、ジーコの退任も、そして何より今回の無残な敗退の総括もなされないまま、今回の茶番劇は始まった。
 何より、そうした検証が求められる報道機関において、なぜ検証がなされなかったのか?

 三流格下の代表チーム相手の初戦に、次期代表監督が就任していなければならない理由は、実はどこにもない。だが、代表監督の就任リミットはメディアによって、勝手に7月10日と決められた中、時間だけが刻々と過ぎ、世間の期待感が高まる中、JEF千葉側が打開を模索する道は徐々に狭められていった。
 そもそも、オシムと今後の去就を交渉する時間も権利も、JEF千葉だけのものである。協会の技術委員長の田嶋がJEF千葉の頭越しにオシムと交渉すること自体、事によれば訴訟モノの暴挙である。ドイツに比べて鉄道ダイヤが異常に正確なこの国においても、どうもビジネスのケジメには無頓着が過ぎるようだ。

 そうはいっても、オシムが代表監督に就任する可能性は、現時点では高いと私は考えている(あの賢人の意向を私ごときが忖度するのも身の程が過ぎるが)。だが、結果オーライで先駆けした記事が「真実」に変換されたとして、日本のメディアがやったことを誰が「ニュース」だと認めるだろうか?

 冒頭のチョムスキーの発言は、辞書の定義と余りにかけ離れた、民主主義社会の悲しい現実を端的に指摘している。
 ユーゴスラビアのように、代表選手の選考が民族問題に発展する心配はない日本のスポーツ界ですら、ここまで報道は「自主規制」されうるのである。
 政治問題に至っては、目を覆い、そして頭を抱えてしまうほかない。
by foresight1974 | 2006-06-30 23:36 | 表現の自由への長い道距

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