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foresightの憲法哲学(23)「“幻想”の防衛力(2)」

 彼(情報諮問委員会委員のクラーク・クリフォード)は、まず椅子の背にもたれかかり、しばらく瞑想してから、やおらテーブルに向き直り、拳で叩かんばかりに強い調子で言った。「相手が黙っていない。われわれが何をしても、それに見合うだけのことを相手はするだろう。北ベトナムと、その次には中国が、われわれに勝利を許さない。われわれが部隊を投入すれば、北ベトナムも部隊を投入するだろう。その次には中国軍がやってくる」。できることなら、相手との交渉を開始すべきだ、と彼は言った。華麗な修辞を好むクリフォードは、一息入れてから劇的にこう結んだ。「私はアメリカの前途に破局を見る思いである。」(「ベスト&ブライテスト」ディヴィッド・ハルバースタム 浅野 輔訳)






 「mixiの中の愛国者」たちの見落とし。それは「防衛力」の限界とシビリアンコントロールである。

 例えば、日本と北朝鮮との間で軍事衝突が発生したとしよう。現在、日本が北朝鮮に攻撃を仕掛けるということは「現実的」ではなく、北朝鮮から攻撃を受けた日本が、「専守防衛」するというシナリオを、最も多くの人々が考えている。
 しかし、日本の人口の70%は海岸線に広く点在して生活しているので、民間人に何らかの被害が出ることを避けることは不可能だと考えられる。
 第一に、彼らはここで被害を受ける民間人と被害を受けない民間人のギャップに全く注意を払っていない。
 つまり、自衛隊の守っているものは、「一人一人の国民」そのものではない、ということである。あくまで、国家という組織体を防衛することによって、「結果として」数多くの国民を救うという発想に過ぎない。いずれにせよ、その中で「死の貧乏クジ」を引く国民は出てくる。
 それでも(乱暴な予測だが)、死者が100人といったレベルに過ぎない場合は、国民の多くが「専守防衛」に成功したと考えるかもしれない。
 しかし、北朝鮮が大量破壊兵器を用いたために損害が拡大し、1万人を超えてくるような場合には、この政策に批判的な国民はずっと増えることになるだろう。ちなみに、現在の自衛隊の装備で、北朝鮮の大量破壊兵器をその使用前に、有効に阻止できるものはない。
 要は、防衛力の行使といっても実は程度の問題であって、しかもその効果は極めて相対的なのである。さらにいえば自衛隊自身、50年近く実戦経験はない。その訓練と士気を最大限に斟酌しても、北朝鮮軍に勝利すること自体はともかく、「国民を防衛」することに成功するかどうかは未知数なのである。両者は全く別問題だと言っていい。「mixiの中の愛国者」たちの、この点の混同は深刻なレベルにある。

 第二に、その軍事的勝利の「価値」の問題がある。
 ちなみに、軍事的に勝利して国家を「防衛」出来るかどうかについて、「mixiの中の愛国者」たちは微塵も疑っていないようである。確かに、強力な在日米軍が駐留し、(ドル建て換算とはいえ)かつては世界第3位の軍事予算を使って整えた最新兵器を擁する自衛隊が戦えば、勝算は大いにあると考えることも不思議ではない。
 だが、軍事的勝利がすなわち政治的・戦略的勝利を日本に約束するとは限らない。
例えば、日本と北朝鮮が軍事的衝突をするというシナリオにおいて、日経平均株価がその影響を全く受けないと考えるオメデタイ人は絶無であろう。ほとんどの人々が何らかの悪影響を被ると考えるはずだし、実際にもそうなるだろう。
 過去50年以上、戦時体制に移行していない日本が被る社会的なコストは天文学的レベルになる。
 さらに言えば、その後の影響も深刻である。アメリカは日本より(いい意味で)愛国的な考えの持ち主が多い国であることに異論はないであろう。しかし、そのアメリカですら、イラク戦争開始後、志願兵が激減し、自国内のみではもはや兵員を賄えないという深刻な事態に直面していることをどう考えるべきだろうか。
 ここでまた、「被害を受ける民間人と被害を受けない民間人のギャップ」の問題が顔を出す、世界有数の豊かな日本社会において、このような軍事衝突が発生した後、自衛隊の志願者が大勢出てくるようになるとは、正直考えにくい。戦闘地域以外の国民が、戦闘地域の国民と同じ危機意識を共有するには、日本はあまりに広く、多様化されすぎた社会なのである。

 実は、アメリカはベトナム戦争において、軍事的に敗北したわけではなかった。後の調査でも、アメリカは最も損害が出ていた時期ですら、ベトコンや北ベトナム正規軍の損害の方が常に上回っていたという。
 しかし、アメリカは戦争に勝利することが出来なかった。冒頭の引用は、その理由を端的に示した、ジョンソン政権関係者の発言である。最新兵器の限りを尽くし、第二次世界大戦以上の爆弾を投下しても、インフレによる経済の疲弊と高まる反戦運動、そしてクレビリティ・ギャップといわれた政治不信により、アメリカは北ベトナム政府を屈服させることも、南ベトナム政府を「防衛」することも出来なかったのである。

 そして、彼らは常々、「自分たちは『最悪の事態』に備えて戦争の準備が必要だ」と主張している。
 だが、私から言わせれば、彼らは最悪の事態など何ら考えていない。
 国家防衛において最悪の事態とは、戦争の発生そのものではない。戦争に敗北し、国民が悲惨な生活を強いられることである。彼らが、東アジアでは無敵と信じているらしいこの国が60年前にコテンパンに負けたことを忘れかけていることに苦笑いせざるを得ない。そして、「最悪の事態」の一歩手前の事態は何か。それは、軍事的に勝利したとしても、勝利した「価値」のない戦争をすることである。例え、北朝鮮軍を完膚なきまでに叩きのめしても、国土が荒廃するようでは、多くの国民にとっては、自衛隊など税金を払う価値のない存在なのである。
 要は、「mixiの中の愛国者」たちは、単に自己満足で国家防衛を考えているに過ぎないのである。敗北主義者のレッテルを貼られることを恐れる彼らは、そのような事態を最初か考慮の対象に入れていない。この点の深刻さについては、後日改めて指摘したい。

 第三に、そのシビリアンコントロール自体の問題である。
 「mixiの中の愛国者」たちは、小泉純一郎内閣総理大臣の下、「中韓なんかより」ずっとまっとうなシビリアンコントロールを押し頂いていると妄想しているようだ。
 だが、現実はそんなに甘くはない。
 シビリアンコントロールがまっとうに機能していると、いえるためにはどのような条件が必要か。
 長谷部恭男は、「憲法と平和を問い直す」の中で、三つの前提を挙げている。

 一つ目は、主権者の代理人たる国会議員が国家全体の利益を考えて防衛政策を決定していること。
 二つ目は、主権者や国会議員が透明で公開された客観情報に基づいて判断できる環境にあること。
 三つ目は、上記の決定がすみやかかつ忠実に、国家機関によって実行されることである。

 しかし、現実社会においてはそのいずれの点においても、満たされてはいない。
 一つ目について、そのような「幻想」をさすがに「mixiの中の愛国者」たちも持ってはいないであろうことを願わずにはいられない。イラク派遣についても、もしアメリカ側から「ブーツオンザグラウンド」と言われなければ、日本政府は絶対にイラクに派遣しなかったであろう。要請されたから派遣した、という形式自体、日米同盟という軍事関係が実態としては「下請け」だという現実を反映している。下請けに元請のような戦略眼は無用である。
 二つ目に関しても、実際的な困難がある。例えば第二次世界大戦において、連合軍がノルマンディーに上陸すべきか、カレーに上陸すべきかについて情報が公開されるべきだという人は多くはないと想像する。しかし、アメリカではその後のベトナム戦争において、介入に関わる様々な情報や真実が伏せられ、その後のイラク戦争においても同じことが繰り返された。そして、独自の情報源のない日本の政府とメディアは、ホワイトハウスの報道官の発言を「コピペ」し続けたのである。
 三つ目に関しては論じる必要もない。せっかく念願の防衛「省」設置が政治日程に乗る直前に、防衛施設庁の談合事件が全てを吹き飛ばしてしまった。朝日新聞はこの状況を揶揄して、「ぼうえい事業機構」の方がお似合いであると評したが、より正確な表現を用いるならば、「談合ぼうえい事業機構」とするべきであろう。

 以上のように、はなはだ心もとない状況の中で、この国の国民は「シビリアンコントロール」に挑んでいるわけである。 

 問題はまだある。そもそも、政治的決定過程として、軍事力の行使が「最後の手段」として、本当に検討されているのか、ということだ。
 軍事力の行使は、21世紀でも依然として、国際紛争の「最後の手段」と考える人もいる。しかし、実際の政策過程においては最後の手段とされてはいない。政治家たちは、その手段がしばしば「最優先の手段」になり、ときには「最高の手段」とされているのである。第二次世界大戦後に発生した国際紛争の多くが、発生過程において「最後の手段」としてギリギリの選択をされた例は極めてすくないという事実がそれを証明している。

 実は、「mixiの中の愛国者」たちの方こそ、夢を見すぎているのである。彼らは、自分たちの「理性」や「理論」とやらが、現実の政治過程で忠実に反映され、あるいは「防衛力」が有効的であると、無条件に信じているのである。
 
 真のシビリアンコントロールとは、その無条件に信じている前提そのものをコントロールする見識と技術のことである。
 航空専門雑誌を読み漁って、2chの「軍事板」からコピペすれば一丁前の現実主義者を気取る人間は、世の中をナメているだけである。

 ここで、日本のシビリアンコントロールは、諸外国より有効に機能している、との反論も考えられる。そう、まさにそのために、2chの「軍事板住人」や「mixiの中の愛国者」たちは研鑽を積んできたのであろう。(苦笑)

 そこで、次回はその自信を打ち砕く論拠をお話したい。
by foresight1974 | 2006-05-14 09:51 | 憲法哲学

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