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foresightの憲法哲学(20)「憲法問題における裁判所の役割(3)」

 長谷部「憲法学のフロンティア」を読んで私が思い浮かべたのは、1982年に最高裁長官となった寺田治郎と、その後を継いだ大物長官・矢口洪一のことだった。長谷部が示唆した「技巧的」司法積極主義を推し進めた長官たちである。

 その当時、最高裁は誕生から30年以上が経過し、社会の成熟化と保守化の中で判例が集積し、憲法判断をする機会が大幅に減少していた。全農林警職法事件以来、リベラル派の判事はガス抜き程度の数に抑えられ、最高裁内部の評議で活発な議論が戦わされることも少なくなっていた。

 「六法全書を持って戦争に行った」と評される合理主義者・寺田の時代、大法廷に回附した事件が7件にものぼった。各小法廷の訴訟指揮に通常、長官が介入することはできない。大法廷を開くには小法廷で大法廷に回附する決定が必要になる。しかし、現実には長官の意向が様々な形で示唆され、重大な事件が大法廷に回附されることがあるといわれている。

 この7件の大法廷裁判で行われた「技巧的」司法積極主義とは何か、それは長谷部が指摘した「読み替えによる現状の固定化」である。限定解釈による合憲判決である。

 



 限定解釈自体は、違法なものではない。アメリカ連邦最高裁判例にいうブランダイス・ルール-日本では憲法判断回避のルールといわれる-は、その中に裁判所が憲法判断を行う前に限定解釈などの手法で、不要な憲法判断を回避する必要性があることは、大半の法律家に広く認識され、支持されている。

 東京拘置所新聞墨塗り事件判決(昭和58年6月22日)、ポルノ税関検査事件(昭和59年12月12日)、青少年条例淫行事件(昭和60年10月23日)。。。表現の自由や罪刑法定主義など、憲法上の重要問題に関する大事件に、限定解釈論は多用された。実務法律家などからも現実的な判断手法として一定の評価も定まっているし、現実の司法試験において、憲法問題とはこの解釈論の議論だといっても過言ではない。

 「法律を違憲としなくても制限的に解釈することで法の運用に歯止めをかける、それがひいては法の改正につながることもあるでしょう。これも違憲審査権の一つだと私は考えています。」寺田は取材に対しこう答えたという。

 この考えを後任の矢口も擁護した。就任会見の席上、司法消極主義という批判に対し「違憲立法審査権はやみくもに行使すべきではありませんが、必要とあれば躊躇することなく、毅然と行使する覚悟です。その重要な使命は常に念頭にありますが、合・違憲の判断を判決文として出さなくとも(違憲立法審査権の行使には)いろいろやり方がある。合・違憲の文字がないからといって司法消極主義と理解して欲しくない。(中略)司法は本来、謙抑的であるべきです。立法、行政は未来を先取りする人が優秀といわれた。それが仕事ともいわれた。司法だって先取りしたい気持ちはあるが、そこはグッとこらえて必要最小限にとどめるのが司法なんです。それは決して司法消極主義ではありません。」

(つづく)
by foresight1974 | 2006-03-19 22:50 | 憲法哲学

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