foresightの憲法哲学(19)「憲法問題における裁判所の役割(2)」

 前回のブログにおいて、憲法問題に対する裁判所の態度について司法消極主義・積極主義という対立概念があり、その効用の限界を示した。

 どちらの立場を採るのであれ、裁判所が憲法問題について、その政治的選好に基づいて判断しているわけではないという応答を示す必要がある。




 長谷部恭男「憲法学のフロンティア」の中では、これに対して3つの標準的な考えを紹介している。
 第一は原意主義または原典主義といわれるもので、憲法の条文および制定者たちがそう考えている以上は、裁判所としては「その通りに」違憲審査権を行使するほかないという考えである。
 第二に、民主的政治過程論(表現の自由をはじめとする民主主義の意思決定過程を阻害する要因となる立法に対しては、裁判所が厳格な司法審査を通じてそれを擁護するという考え)という考えから導かれるもので、裁判所の司法審査は民主主義的正当性を補完するために限定して行使されるもので、裁判所の司法審査と政治部門の衝突は通常ありえないとするものである。
 第三は、司法消極主義に限りなく近い考え方で、専門性を有しない裁判所は、基本的には政治部門の判断を尊重するべきであるという考えである。

 しかし、これらの「準則」を設けたとしても問題は残ると長谷部は指摘する。
 第一の考えに対しては、条文の「文言」そのものが幅のある概念である場合、結局は裁判官の「主観的価値判断」を介在せざるを得ないし、そもそもなぜ、とっくに亡くなっている「制定者の考え」に現在を生きる我々が拘束されなければならないのか、という疑問に答えられない。
 第二の考えに対しては、民主的政治過程を擁護するための権利はどれなのか?という疑問に困難が生じる。例えば、プライバシーの権利や芸術表現の権利は、民主的政治過程に必要なのかどうか?論者により結論が異なるだろうし、その結論が国民に受け入れられるかどうか疑問である。
 第三の考えについても、専門性を有しないことが、司法審査を限定づける直接の理由にはならないのではないか、という疑問が浮かぶ。例えば、専門性に欠ける裁判所が仮に存在するとしても、それは裁判の主張・立証過程でクリアできるレベルではあり(公害訴訟などにみられる立証責任の転換などは典型例であろう)、専門性のなさがただちに裁判所の審査権限の限定になるとは限らないのである。また、このような論理が仮に妥当するとすると、本来は政治部門の判断が「妥当である」という一般的判断すらなしえないはずであり、裁判所の審査という概念はそもそも無用になるはずである。

 司法消極主義・積極主義について、長谷部は同書の中で様々な問題点を指摘しつつも、しかし、「司法審査の現状や可能な司法審査のありようを「記述」する概念としてはなお有用であるかも知れない。」と述べている。「規範論としてはともかく、現実に裁判所が法解釈にあたって、あるときは政治部門の判断を尊重し、あるときはそうしないという政治判断を下すことはありえるからである。」(同書より)
 しかし、その場合においても何が積極主義であり、何が消極主義にあたるかを判断するには注意を要すると述べている。
 その真意は、「プロムナード」と題されたコラムの中に書かれている。

 「実際に生み出される経済規制の多くが特定の業界や団体の利益をはかる、つまり積極目的に属するものであり、また民主的政治過程がそもそもそうした立法を自然に生み出す本性を有するのであれば、裁判所の違憲審査の任務もそれに応じた限定的なものであるべきだという味方も成り立ちうる。(中略)
 他方、当初から特定の業界や団体の利益を促進する目的で立法が提案され、制度化されたのであれば、裁判所がそれにあえて異論を唱えるべき理由は見出しにくい。その制度がたとえ違憲とされ、排除されたとしても、その一つ前の制度が維持されるだけのことであり、その制度はやはり特定の業界や団体の利益を維持していた蓋然性が高いからである。」


 そこで、長谷部はこう述べる。

「従来の日本の憲法学は、制定法を違憲と判断することが司法積極主義であり、そうしないことが司法消極主義であるという「分かりやすい」区別を受け入れてきたが、この区別が、果して政治部門への司法部の謙譲と正確に対応しているか否かは、実はなお精査を要することになる。日本の裁判所は、ほとんど制定法を違憲と判断することなく、したがって「司法積極主義」という非難(民主主義の否定)を受けることなく、しかし制定法を最高裁判所の有権解釈権を通じて読み替えることで、積極的に政治部門の判断を変更し、しかもそれを「現状」として固定化してきた可能性がある」


 そして最高裁は、ある時期にこうした姿勢を積極的に模索していたことがあった。それについては次回お話したい。
by foresight1974 | 2006-03-19 16:12 | 憲法哲学

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