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foresightの憲法哲学(17)「『公共の福祉』を考える視点」

 実は、筆者は読売改憲試案や自民党の憲法草案における「公共の福祉」の表現を興味深く見ていた。
 結果は、大変失望するものであった。彼らの発想は「行き過ぎた個人主義の是正」なる陳腐な理想主義である。「公」を強調すれば、凶悪犯罪者もたばこのポイ捨ても減るだろうか?いたって怪しいものである。




 そもそも、「公共の福祉」とはどのような考えなのだろうか。
 「公共の福祉」の解釈について、現在の憲法学説の通説は「人権相互の矛盾・衝突を調節する実質的衡平の原理」と考えられている。つまり、人権を制約するのは、制約しないことによって生じた矛盾が、他の人権を侵害する場合に限られているのである。
 なぜ、このような「ややこしい」説明になったのか。それは、学説の考え方が「憲法は国家権力を制限する規範」という憲法の基本的機能から出発し、公共の福祉を用いて人権を制約するのは必要最小限にとどめるべきだと考えているからである。そこにあるのは、権力を持つ側に対する醒めた懐疑主義である。実際に、こうした発想により民主主義社会において人民の自由の範囲は大幅に拡大した。
 読売改憲試案と自民党憲法草案はこの点を決定的に間違えている。彼らは権力を持つ者が「公益」を振りかざして基本的人権を制限するリスクに全く注意を払っていない。彼らの社会的立場が現実社会においてきわめて強大であり、どちらからといえば、権力の恩恵にあずかる立場にあるからであろう。
 前回のブログで私が「特権階級が考えたこと」と揶揄したゆえんである。

 では、「公共の福祉」を論じるうえでどのような視点を持つべきであろうか。
 第一に、国家権力を制限する概念である点をより明確にするということである。人権制約の原理である公共の福祉であろうと、国家権力を制限する憲法の基本的機能から逸脱することは絶対に許されないことである。
 現実に、最高裁判所はある種の法的問題について「明白の原則」なる概念を用いて憲法判断を行っている。これは「一見明白に違憲無効と認められない限り、当該制約立法については立法府の裁量を重視して、合憲とする」違憲審査基準である。こうした立法府に対する白紙委任状的憲法判断を行うことが許される理由の一つに「裁判所の審査能力の限界」が言われていた。しかし、それではいったい何のために裁判所には当事者への釈明権や訴訟指揮権があるのだろうか?近年、明白の原則を用いつつも、裁判所は立法事実や制約手段との合理性について詳細な憲法判断を行うようにはなったものの、本来の審査力からは程遠いレベルである。もし、憲法を改正するならば、裁判所の審査力向上に資する文言を用いるべきである。
 第二に、「行き過ぎた個人主義の是正」というものを、個別具体的に明らかにする方向で考えなければならない。凶悪な少年犯罪が跡を断たないことと、たばこのポイ捨てでは、主張される権利も全く異なる。いわゆる改憲論者なる人物たちは、そうした「事情」への配慮は全くなされていない。そもそも憲法変えれば日本人が変わると思うことくらい、「おセンチ」な考えはない。
 第三に、「公共の福祉」による人権制約は「最後の手段」だということである。そもそも、彼らが主張するところの「個人主義」なるものの多くは、本来は公共道徳の範疇に属するものであり、まずは各個人のモラルが尊重される領域だということである。「良い・悪い」という問題と、「制限するべきか・そうでないか」という問題は全く別次元なのである。世の中に腹立たしい人物が数多く存在するからといって、そのたびに法律で規制することはその社会から多様性を奪うことになり、ひいては民主政治そのものを崖っぷちに追いやることになるだろう。

 結局のところ、この問題を通して明らかになるのは、改憲論者たちの「夢見がちな想い」ばかりなのである。私に言わせれば、法律を変えれば日本が変わると思うことくらい甘ったれた考えはないのである。
 そんなことだから、いつまでも憲法改正が出来ないのである。彼らが「憲法改正を支持する国民が50%を超えた」と言い始めたのは、もう10年も前のことなのだけれど。
by foresight1974 | 2006-01-13 22:19 | 憲法哲学

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