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ライブドア・フジテレビ問題とは何だったのか(10)「新株予約権の法的論点(2)」

 前回のブログで、ライブドア・ニッポン放送事件における裁判所の判断の枠組みについてお話したが、今回はそこで残された課題についてお話していきたい。

 大まかに言うと、「会社は誰のものなのか」という点と「企業価値とは何なのか」という点だ。いずれも具体的な争訟の論点にはなじみにくく、今回の事件でもそれについて示唆的な表現にとどまるのはやむをえないだろう。どちらかといえば、こうした論点は実務の世界というより、アカデミックな世界に与えられた宿題といえる。



 まず、前者の論点との関連で気になるのは、今回の事件において裁判所はいわゆる「ユノカル基準」をどの程度考慮に入れたのか、という点だ。
 ユノカル基準とは、アメリカの石油会社ユノカルに買収をしかけたメサ石油(買収王ブーン・ピケンズが支配していた)に対抗し、ユノカル社がメサ石油以外から自己株式を取得する(選択的公開買付:日本法では認められていない)という防衛策を実施した事件について、デラウェア州裁判所が示した判例理論のことである(米国では多くの企業が税務対策でデラウェア州に本社を置いているため、同州の法令や判例法が大きな影響力を持っている)。つまり、取締役会は、合理的に予想されるあらゆる害悪から株主を含めた会社組織体を防衛する基本的権利義務を有するという前提に立った上で、防衛手段が是認される要件として、従来の経営判断の原則に加え、「防衛手段と脅威との合理的関連性」という要件を付加したものだ。ここでいう合理的関連性とは害悪のある脅威が現実化しており、かつとられる対応策も企業防衛を口実とした一部株主や経営陣を利する不合理なものであってはならない、ということである。反対に言うと、買収策が友好的あるいは敵対的であるが企業経営にとって望ましい買収である場合、全株主の利益を最大化するという点、すなわち、もっとも高額に会社を売却するという一点に集約されることになる。アメリカの敵対的買収に対する防衛策が「実務上は単なる時間稼ぎにすぎない」とよくいわれるのは、この基準を念頭においているからである。
 今回の事件において、「相当な手段」とか「対抗手段としての必要性や相当性」という文言が見受けられるが、これはユノカル基準に相当近いニュアンスであるといえる。
 もし、ユノカル基準に近い立場をとるとするとどうなるのだろうか。つまり、一般には会社は株主のもの=現在構成されている株主と思われているが、買収とその防衛策に合理性を要求する立場からすれば、会社とは株主のもの=将来株主になる者も含む、ということになる。経済評論家の奥村宏は「会社は誰のものでもない」というショッキングな著作の中で、会社は社会全体のものと書いているが、それはこの点を念頭においているわけである。
 従来の私法でも「法人実在説」は会社が社会に実在するのは組織体として社会に利益を与えているからだ、という考えがあった。奥村の発想は私法の通説と親和的である。筆者もこの説に心情的に近い。

 後者の論点ではいえば、裁判所が防衛策の許容範囲について「会社ひいては株主全体の利益の保護」という視点を打ち出したこと。そして、事件後に経済産業省と法務省が発表した「企業価値・株主共同の利益の確保または向上のための買収防衛策に関する指針」(以下、指針)が注目される。
 指針は昨年9月より企業価値研究会(座長・神田秀樹東京大学教授)の議論検討を踏まえて作成されたもので、直接にはライブドア・フジテレビ問題とリンクするものではない。しかし、偶然の一致が実務界でこの指針の存在価値をいやがうえにも高めることになった。
 企業価値研究会の報告書によれば、4つの基本理念がうたわれている。企業価値向上、グローバルスタンダード、内外無差別および選択肢の拡大である。基本的には敵対的買収も企業価値向上に役立つ場合もあることを認めたうえ、過少防衛や過剰防衛の弊害を回避するため、欧米のルールを参考にしながら日本にも公正なルール作りを提唱している。
 ここで重要なのは、両者で記された企業価値基準である。指針では、ニッポン放送で示された4つの類型を企業価値を毀損する代表例としてあげているが、これについて47th氏から批判が向けられていることは紹介した。むしろ、企業価値報告書の考え方の方が、実務的で実際的な基準となりやすいと思われる。ここでは、ユノカル基準が完全な下敷きとなっており、企業価値の客観的な判定というよりは、株主やステークホルダーが慎重で適切な行動をとれるための機会を確保するための手段としての買収防衛策という位置づけがされている。
 ここまで読んで、金融や財務専門の方にはかなり違和感があると予想している。つまり、法律的には「Aの企業買収は企業価値いくら、Bの防衛策は企業価値いくら」という算出モデルを示すものではないからだ。法的見地としては、あくまで企業価値とか株主の共同利益という抽象的概念を打ち出して、具体的なルールを考察するというアプローチなのである。企業価値研究会の報告書で論じられているのだが、会社の将来の収益を左右する貴重な情報は市場に流通していない可能性もあり、真の企業価値と株価は乖離しているのが一般的だと考えるわけである(その流通していない情報を企業価値に組み入れる実際的意味があるのかという突っ込みはなしにして)。
 まあ、市場が万能ならばそもそもこうしたルールは必要ないわけであり、欠点多き人間がやらかすからルールを作るという偏屈な連中が考えていることだ、ということでお許し願いたい。
 
 しかし、これらの宿題を解決しても新たに問題が出てくる。つまり、そうした公正な「会社の所有者」と「企業価値」を誰が判定するのか、という点だ。
 これに関連して問題になるのが、裁判所が学説にいう「機関の権限分配秩序説」を採用したとみられることである。これは、取締役は株主間の支配争奪に介入してはならず、どの株主が会社支配権を獲得すれば会社にとり有益かについて決定する権限を有しないというドイツの学説を背景にしたもので、取締役が株主の支配関係上の争いに介入する目的で第三者に新株を発行するときは、企業経営上合理的であるとしても不公正発行になるという考えである。
 この理論によれば、そもそも「例外的な防衛策」(ここでは新株予約権の発行)の存在を認めないはずであり、ユノカル基準が介在する余地はない。そこで裁判所は、「会社ひいては株主全体の利益」という理由付けで例外的許容を設定するのだが、そもそも現行の株主構成で選任された取締役がそうした判断者として適切なのか、という点で明確な理由付けとしては成功していない、と指摘されている。
 また、裁判所は「事前の予防策」の実施を否定しないと述べているが、この説を採ると原則違法化される「事後の防衛策」との取扱い上の区別に理論的難点が生じると指摘されている。
 そこで、この問題の解決策として、isologue作者の磯崎哲也氏ふぉーりん・あとにーの憂鬱作者の47th氏が提唱する「社外取締役の決定への関与」を考慮に入れる方法である。理論的にも個人的にもすっきりする考え方ではあるのだが、日本の企業社会の現実として、社外取締役がお雛様に過ぎない点を考慮すると、裁判所がこうした判断を採りえなかったのは止むを得ないと思われる。

 いずれにせよ、企業買収とその防衛策について、司法判断の深化が求められることは間違いなく、そのためには、法理論的な問題だけではなく、金融や財務面に至るまでに幅広い知識が求められることになる。
by foresight1974 | 2005-12-25 10:49 | 企業統治の公共精神

真理を決定するものは、真理それ自体であり、それは歴史を通して、すなわち人類の長い経験を通して証明せられる。(藤林益三)


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