経済報道解読ノートレビュー「中山素平-企業家を探しあぐねた生涯」(By foresight1974)
2005年 12月 18日
ここでの「企業家」というのは、経済学者シュンペーターが使った言葉である。
東京商科大学(現一橋大学)で「景気変動理論における金融中心説の一考察」という、いかにもシュンペーターの影が濃い卒論を書いた中山は、そんな個性豊かな企業家たち(筆者注:ここではアラビア石油の山下太郎、日本精工の今里広記を指す)を愛したのだ。
「資本が中心の資本主義なんか、あるべきじゃない」とは言うものの、企業の競争力は、最後は利益、つまり資本の論理で示される。善し悪しではなく、ほかに別の正解があるような話でもない。中山はそんなことを百も承知で自由な「ゲテモノ」たちのプロデューサー役を買って出た。
(「経済報道解読ノート」より)
この「ゲテモノ」という言葉、コラムの冒頭で作家・城山三郎との語らいで示されている。
城山が本田宗一郎、五島昇、山田光成など型破りの経営者ばかりを好んで目を向けることを、いわば冗談めかしたわけなのだが、中山自身も「ぼくなんかも、そうかも知れんけど」と呟いている。
日本の戦後経済の根幹に関わる事業再編に携わった中山に「蹉跌をみてはおこがましい」とまでの賞賛を送るキ文だが、中山の皮相な面にもしっかりと触れている。
ただ、中山の愛したひらめきあふれる企業家たちが、これもシュンペーター風に言えば「熟慮」する経営者ではなかったように、中山もまた「ミスター興銀」と称されながら、本当の意味での経営者ではなかったのかもしれない。制度金融機関という特殊な地位と、他の金融機関に対する規制政策とが相俟って、興銀には長らく個別資本としての生産性を追求せずとも収益の上がる時代が続いた。極論を敢えて記せば、中山に「経営」は要らなかった。
(「経済報道解読ノート」より)
そして、その証左に中山が晩年、熱心に擁護したハウステンボス元社長の神近義邦とアスキー元社長の西和彦を挙げる。
ビジョナリストで非合理的な情熱をもって「革新」を目指した彼らの経営の不在は、90年代のバブル崩壊後明らかになるのだが、その失敗が明らかになった後も、中山は彼らを擁護しようとした。
「銀行も小粒になったよ。将来の日本のためになる企業でも、現在の業績がよくない会社は見放してしまう」と神近に無念を語った中山。
正直なところ、私の周辺にハウステンボスの未来を見出している30代は誰もいない。ヨーロッパへの格安航空券が、インターネットで気軽に手に入る時代に、九州の人以外でハウステンボスにここまでの思いを寄せる若者は、ほとんどいないのではないか?
いったい、中山はどんな未来を見ていたというのだろうか?
中山が育てた日本システムは、後進たちがシステム維持に汲々とするうち、そして中山本人がタイムリミットだと予言した20年が過ぎるうちに、いつしか「ゲテモノ」と似て非なるひ弱な「経営者」に居心地のいい場所に変質してしまった。
(「経済報道解読ノート」より)
中山の生涯を通じて、キ文は魑魅魍魎が跋扈する資本主義社会で「企業家」を探すことの大切さ、その難しさと限界を2ページのコラムを通じて余すところなく書ききった。
傑作のコラムである。是非ご一読願いたい。