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世紀をまたいでしまった水俣病問題

 水俣病の未認定患者らでつくる「水俣病不知火患者会」(約1100人、大石利生会長)の50人が3日、国と熊本県、原因企業のチッソに1人当たり850万円、計4億2500万円の損害賠償を求め、熊本地裁に訴訟を起こした。患者会によると、原告団は最終的に1000人規模になる見通し。

 未認定患者に一時金や医療費を支払うことを決めた1995年の水俣病の政府解決策を受け、多くの訴訟が取り下げられて以降、初の集団訴訟となった。
(京都新聞2005年10月3日電子版より)



 水俣病問題が日本の公害問題の縮図として世界的に知られるようになって40年。
 風化してもおかしくないほどの年月が経っているにも関わらず、未だに訴訟を提起すれば1000人以上が参加する。

 水俣病問題は、単に公害問題というだけではなく、左翼の政治運動の側面も持っている。運動自体も当初から激しい内部対立を繰り返した。象徴的なのは、水俣病訴訟第1次訴訟について熊本地方裁判所が原告勝訴の判決を下した昭和48年3月20日。全国民の注目が集まる中、水俣病原告団は弁護団全員を解任したことだ。直接交渉派と訴訟派、未認定患者の救済をめぐる政治的思惑と庶民からみたら実に瑣末な政治的思想・立場の違いが理由で原告達は分裂していった。
 昨年、劇的な原告勝訴判決が下った水俣病関西訴訟もその一つである。95年の政治的解決が図られた後も未認定患者として残された人々、そして国がこの問題に全く責任を取らなかったことを最後まで承服しなかった人々が戦い続けた成果だった。しかし、その結果95年に政治的解決を受け入れた患者との差別的待遇が問題となりつつある。

 そして今日、この問題ははっきりと世紀をまたいでしまったのだ。40年前の当時、ここまで原告達の「痛み」と「分裂」が深刻になるだろうと、誰が想像したのだろうか。
 水俣病が発生した当初、チッソは法外に低い見舞金で原告達への訴訟の道を閉ざそうとした。昭和48年の熊本地裁判決で、同見舞金は公序良俗に違反しているとして無効となったが、この見舞金が原告達の提訴を大きく遅らせたことはあまり知られていない。
 当時、責任ある立場にあった為政者や企業を呪いたい気分である。
by foresight1974 | 2005-10-03 23:40 | 環境権の未来プロセス

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