ついに火を噴いた「監査法人の責任」

 今週、カネボウ粉飾決算に関する東京地検特捜部の強制捜査(4名逮捕)と、足利銀行からの粉飾決算に関する巨額の賠償請求を受けた中央青山監査法人。

 この事件は、従来日本のコーポレートガバナンスで脇役扱いであった監査法人が、不承不承ながら主役に引きずり出されたことを示している。



 監査法人に対する行政・司法当局の厳しい姿勢は、すでに端緒があった。2002年、物流会社フットワークエクスプレスの監査意見の虚偽報告に関し、金融庁が大阪の瑞穂監査法人に対して業務停止命令を出している。

 過去にも数多く発生していた企業の粉飾決算において、監査法人がその責任を問われることはほとんどなかった。商法上、監査に関して重い責任を負わされているにも関わらず、である。なぜなら、行政・司法当局の調査において、事件立件のための資料を監査法人に大きく依存していたからである。

 潮目が変わり始めたのは、阪和銀行やそごう破綻において、監査法人が監査意見提出を拒否し始めたころからである。コーポレートガバナンスやディスクロージャー、アカウンタビリティといった言葉が叫ばれ始め、監査法人もそうした責任に対応せざるを得なかったのである。
 しかし、スポーツで言えば選手から金をもらって審判をまかされているような立場の監査法人が、自らクライアントの経営にダメ出しすることは自己矛盾でもあり、また監査法人の経営上は自殺行為でもあった。西武鉄道やカネボウ、ミサワホームなどの破綻で、おそらくは長年経営上の問題を知りながら放置されてきたのは、圧倒的に強い立場にある経営者やオーナーにモノを言える気概のある会計士がいなかったということもあるが、そもそも彼らの置かれた立場があまりに複雑でありすぎた。

 長年、株主総会で総会屋の跋扈を許しコンプライアンスを軽視してきた弁護士業界は、90年代のバブル崩壊後、身内の懲戒請求の対応に明け暮れることになった。公認会計士、監査法人の業界にはそれが10年遅れでやってきたのである。
by foresight1974 | 2005-09-19 10:47 | 企業統治の公共精神

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