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青色LED訴訟:9年目の再検証(6)「いったんの結論」

以上を踏まえて、自身の見解を若干記しておきたい。




<見解①>
 中村修二が日亜化学を相手取って起こした訴訟から13年が経過しているが、基本的な問題構造は変化していない。
 基本的な問題構造とは、

(1)発明者が誰であれ、特許の帰属が誰であれ、その発明の名誉の利益をその人物・企業が独占的に帰属することが公正な法的解決か、という議論が何らなされていない。
 特に、発明に関わる過程で、発明者のブレークスルーの礎となる知見を提供した人物や、法律上の発明者には当たらないとしても、発明が生じるに不可欠な知見を提供した人物など、何らかの法的利益を得るべき人物については、現行特許法は何らの恩恵をもたらすことはない。その理論的問題は、日本法だけの問題ではない。
(2)発明の対価について、公正妥当な算定式を見出すことは理論的困難があり、訴訟物の限定がある裁判所の審査能力にも限界がある。対価算定の手続的妥当性を高める工夫が必要だが、その議論が乏しい。

 という点である。

<見解②>
 今回、改めて当時の記事や新たに読んだ論文等で、9年前の記事について、次の点を反省させられた。

(1)連載当時、中村以外に青色LEDの開発・量産化に携わった人々の功績とその得るべき法的利益について、もっと関心を払うべきであった。
 その点、近岡の「日経ものづくり」での記事は強く反省を迫られてたし、記事自体、現在も価値のあるものと考えている。
(2)青色LED訴訟を通して、中村が得た特許対価について、高すぎるという感覚的意見はあったものの、うまく言語化できなかった。その点、山口栄一の論文が明晰な判断材料を提供してくれている。

<見解③>
 現在の動きについていくつか。

(1)本連載でも述べているとおり、中村のノーベル物理学賞受賞について、私はその妥当性を判断する知見はないが、一連の再検証を経て思うのは、今回受賞する3名以外にも、受賞に値する人物はいたのではないか、という疑問は解消できなかった。
(2)2000年代初頭の判例を経て成立した現行特許法を再改正する動きがあるが、全く評価に値しない。
 理由は、
・現行法成立後、対価算定の訴訟が激減しているのに、再改正する意義に乏しい。
・主な法律争点になっている対価算定の問題は解決できない。
・現行法でも社内規程で特許は会社側に事実上原始的に帰属させている。
・再改正しても特許帰属に関する訴訟自体を理論上防止できない。

 
<見解④>
 今後について、

(1)本連載冒頭で指摘しているとおり、そもそも「特許=発明の独占」というパラダイムの根本的議論が必要である。
 現行法上の解決策を見出すことは困難であるし、個人的な結論はまだ出せていないが、山口が指摘したように「発明の対価」と「経営上のリスクチャレンジからのリターン」の問題を分離すること、発明者自身以外に、当該発明に不可欠の関与をした人物への報奨制度等の整備などが考えられる。
また、ある種の発明については、そもそも特許の成立を認めるべきか、という議論も必要である。(例えば、エボラ出血熱の治療薬に関する発明ついては、特許の成立は否定しつつも、その十分な補償を条件に、誰でも使用可能にすることなど。)
(2)発明の対価という法的問題については、裁判の前に、ADRを設置するなど算定のノウハウが集積する法的手続を整備し、また、裁判所も原則としてADRの判断を尊重する、といった手続的妥当性を高める工夫が必要になると考える。

<見解⑤>
 残された議論はいくつかあるが、特に、「そもそも特許は発明、あるいはブレークスルーを保護しているのか?」という議論について、今回の検証連載は十分には触れていない。
 実のところ、この問題も結構深刻である。中村は、放棄された404特許の発明者ではあるが、その404特許が関わる青色LEDの量産化について、ノーベル物理学賞を受賞しているのである。
 この根本的矛盾について、今回は十分な考察をしてこなかったが、こうした点も含めて、知的財産権の保護について新たなパラダイムを構築する必要がある、という問題意識を持ち続けなければならないと思っている。

(本連載終わり)



by foresight1974 | 2014-11-15 18:30 | ビジネス法務

真理を決定するものは、真理それ自体であり、それは歴史を通して、すなわち人類の長い経験を通して証明せられる。(藤林益三)


by foresight1974