金融庁は「正義の味方」にあらず(By foresight1974)

 確か、「金融ビックバン」といわれる規制緩和が行われたのは、1997年~1998年ごろのことだと記憶しているので、もう6年になるわけであるが、その間、金融業界を監督する機関はどれだけの進歩が見られただろうか。
 UFJ銀行による金融庁の検査妨害事件で、10月8日東京地検特捜部の家宅捜索が行われるのをテレビで見ながら、そんなことを考えていた。



 別にそれが正しいとは思わないが、欧米ではこうした告発は年間数十件にわたって行われている。事案の解明にはグレーな部分ももちろんあるが、少なくともこうした金融検査・告発手続は公開されている。
 それに対し、日本の金融監督体制は従来から「一罰百戒」体制だとかねてから指摘されていた。これは、実務的な見地からは数多くの不祥事全てを摘発することは事実上極めて困難であるから、立件しやすく、典型的で悪質な事例について処分・摘発を行うことで、それを受けなかった他の金融機関に対する威嚇効果を発揮し、金融業界の健全性を維持する、と説明されてきた。
 だが、それは当局側の勝手な言い分にすぎない。
 かつて長銀のMOF担(金融業界の大蔵省との折衝担当者の隠語)だったアローコンサルティング事務所代表の箭内昇氏は、Nikkei Bis Plusのコラム「企業と人―未来思考の変革」の中で、ある大手都銀の仲間から「うちの銀行では殺人を除いて新聞の社会記事のすべての事件がそろっている」と聞かされ、さらに「銀行局さえ説得すれば表ざたになることはない」と言われ、大変驚いたという。(第52回「UFJ事件の教訓」より)
 しかし、学生時代から企業に関する法律や、それが企業経営に与えた影響を勉強してきた筆者のような者から見れば、それは決して驚くことではなかった。日本の経済事件の歴史は監督当局による「一罰百戒」の歴史であることを十分知っていたからだ。それは裏返せば当局による恣意的な事件の選別の歴史でもある。
 一般市民の方は金融監督当局、かつて大蔵省が民間金融機関に絶大な支配力をもってきたシステムについていまいちピンとこないところがあるのではないだろうか。かれらの力の源泉は法律上の権力だけにあるのではない。実は、こうした不祥事の情報が、MOF担を通じて監督側に把握され、監督側のサジ加減で事件の選別が行われるからである。もちろん、日本経済新聞や朝日新聞はそんなことは一行も書くことは無い。

 確かに、検査官の面前で平然と資料を破棄し、関連資料のデータを廃止された部署のデータベースに移して隠すといったUFJ銀行の行為は、一般市民の感覚から言っても犯罪行為と指弾を受けても仕方のない行為である。そういう点からすれば、今回の刑事告発は極めてまっとうだといえる。
 だが、UFJ銀行は金融当局による狙い撃ちに度々あってきた。90年代後半にもある銀行との経営統合との打診を大蔵省から受けたが、当時の三和銀行はいったん拒否したところ、首都圏の支店長の巨額横領事件が明るみに出て行政処分を受けている。
 もちろん、こうした処分が行われた背景が必ず連動性があるというわけではない。だが、「江戸の仇は長崎で討つ」のが官僚の業界支配の常套手段である、ということは行政に応対したことのある法務関係者なら常識的に知られていることかと思う。少なくとも、これだけははっきりと言える。日本には欧米のように監督機関の手続や事案処理の透明性に関する信頼性や、それを維持しようというインセンティブはシステム的には全く機能していない。金融ビックバンといわれ、規制緩和や事前の不透明な裁量行政を廃止し事後的に透明な手続で市場の健全性を育てようなどというのは全くのお題目である。本質的な部分はこの6年、いや何十年にもわたって進歩が見られていない。

 企業法務の関係者はそういう憂鬱な状況の中で、自社のコーポレートガバナンスを維持していかなければならないのである。
by foresight1974 | 2004-10-09 00:05 | 企業統治の公共精神

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