人気ブログランキング | 話題のタグを見る

半月城通信「アサヒビールと靖国神社」に関する疑問

 今週も、自分とほぼ政治的立場を同じくする方に苦言を申し上げたい。
 そんなことをチマチマやっていると、バカウヨクどもに日本国憲法を「スティール」されかねないほど、現在の日本のリベラル陣営は貧弱なのであるが、内輪の議論に妥協して馴れ合うのは最も自分の嫌うところなのである。

 今回取り上げるのは、在日朝鮮人の社会問題を取り上げ続けていらっしゃる半月城さんのサイト「半月城通信」に掲載されたアサヒビールと靖国神社の関係についてである。

 同サイトによれば、アサヒビールの最高顧問・中條高徳が「国事行為たる戦争の犠牲者を祀る靖国神社に詣でる事をしない政治家に、国政に参加する資格はない」と新しい歴史教科書をつくる会のHPに書いていることである。(リンクはこちら

 半月城氏は、これをアサヒビールの公的見解であるかのように捉え、アサヒビールに再三の抗議を行うとともに、中條の解任を要求している。

 アサヒビールはこれに対し、中條の個人的行動であることを説明し、今後、個人的行動に関しアサヒビール最高顧問の肩書を用いないよう「厳重に申し渡した」としている。

 果して、これらの諸点について法的問題はあるのだろうか?私の見解は半月城氏と異なる点がいくつかある。

More
# by foresight1974 | 2006-03-05 21:18 | サイレント政治・社会評論

「日々是上田わ~るど・天皇陛下の靖国参拝」によせて

 私は忙しい人が好きである。
 以前、友人とも話題になったが、忙しいときほどブログや日記の書く「ネタ」というものは増える気がする。忙しく働き、考えているときは、社会からいろいろな「刺激」を受けているときだからだろうと思っている。

 上田勝さんも大変にお忙しいらしい。
 当ブログのリンクに張られている「日々是上田わ~るど」の中身は、「政治討論」時代からの上田さんの鋭い洞察力を広い視野、展開力のあるロジックが依然として健在であることを示している。
 しかし、この記事だけはどうも気に入らない。
 1月31日に掲載された「天皇陛下の靖国参拝」である。
 そして、私の気難しい性格はささいなことでも気に入らないことがあれば口を挟まずにはいられないのである。

 残念なことに上田さんはブログを書かれていない。TBできないのは大変不便であるが、後でメールにてご連絡差し上げたい。

More
# by foresight1974 | 2006-02-28 00:07 | サイレント政治・社会評論

住信対旧UFJ訴訟で露呈した「法務部門の地位の低さ」

住友信託銀、旧UFJとの訴訟で控訴 請求額は大幅減額(朝日新聞2006年2月24日)

 住友信託銀行が、信託部門売却の基本合意を守らなかったとして旧UFJホールディングス(現三菱UFJフィナンシャル・グループ)を訴えていた損害賠償請求訴訟で、住信は24日、請求を棄却した一審判決を不服として東京高裁に控訴した。

 損害の請求額は一審の1000億円から100億円に減額した。統合が実現すれば得られたはずの「逸失利益」の請求を取り下げ、統合の最終契約が結べると期待した「期待利益」を侵害されたことによる損害に改めた。

 一審判決は、旧UFJ側に最終契約を結ぶ義務があったとはいえないとして、逸失利益を求めた住信の請求を全面棄却した。一方、旧UFJは基本合意書に基づく独占交渉義務に違反したとして、期待される利益が損害を受けたことに言及したが、住信側が立証しなかったことを理由に賠償を認めなかった。


 全く理解に苦しむ控訴である。
 逸失利益と期待利益の違いは、「実際に統合した場合の事業効果」に関する賠償額が含まれるかどうかという点である。前者は含まれ、後者は含まれない。
 M&Aの基本合意書は、本格的な合併交渉の前に締結される契約書で、1次デュー・デリジェンス(買収先の監査)が行われた後、M&Aの基本スキーム(株式交換や合併などの法律上の事業統合方法)や、合併のスケジュール、独占交渉権に関する条項、違約金、場合によっては統合後の持株比率などを定める。
 一般的には抽象的なものにとどまることが多く、基本合意書を破って第三者と新たに統合交渉に入っても違法とはいえない。ただ、独占交渉権や違約金などが定められている場合、契約違反による損害賠償責任が発生する。
 金融機関のM&Aには、通常多額の費用をかけたデュー・デリジェンス必要となる。上記記事にある請求額は、個人的に妥当かやや少ないレベルではないかと感じている。
 今回の一審判決は今月13日に言い渡された。そこで、逸失利益ではなく期待利益による賠償請求は認められるとしながら、何と、「原告側の主張・立証がない」ということを理由に棄却したのである。これも珍しい判決である。
 弁論主義が適用される民事訴訟においては、通常、原告側が主張していない事実に基づいて裁判所が判決を下すことは許されない。つまり、旧UFJ側に賠償責任があると裁判所が考えていても、その旨の主張を住信側が行わなければ裁判で負けてしまうのである。
 通常考えられないミスだといっていい。

More
# by foresight1974 | 2006-02-26 10:12 | 企業統治の公共精神

こんな麻原裁判にしたのは誰か

 地下鉄サリン事件などで殺人罪などに問われ、一審で死刑判決を受けたオウム真理教元代表、松本智津夫被告(麻原彰晃、50)の精神鑑定を進めていた精神科医は20日午前、鑑定結果をまとめた。同日午後に東京高裁(須田賢裁判長)に届けられた。鑑定結果は「訴訟能力は失われていない」という内容で、同高裁はこの結果を尊重し、近く「被告に訴訟能力がある」との結論を下す見通しだ。
日本経済新聞朝刊2006年2月21日


 実に無意味で、何の成果もない出来レースの精神鑑定が終わり、いよいよ弁護団は追い詰められた。
 接見に現われない被告人を待つこと半年以上、38回目で現われた被告人は、自らオムツをはずすこともできない、もはや異常宗教団体の指導者ではなかった。それでも裁判所は、その被告人と打ち合わせをし、控訴趣意書を提出せよというのだ。
 こんな人物に判決を下したところで、いったい誰が救われるというのか?

 一審で組み立てられた詳細な事実認定に基づき、麻原を死刑にするなど、赤子の手をひねるより簡単なことである。
 しかしそれは、人や罪を裁いたことにならない。
 新聞報道や世論で裁判の行方を決めるならば、独立した司法権など必要ない。立憲民主主義など恥ずかしくて口にする資格もない。
 今必要なことは、弁護団を擁護し、鑑定意見を述べる精神科医を世論の圧力から守ることである。それでこそ、「公平な裁判」が実現するのである。

 しかし、肝心のマスコミの中に、実態を知りながら弁護団への誹謗中傷を生き甲斐にする、腐った輩が蔓延っている。
 弁護側立証までの時間稼ぎや控訴趣意書提出までの鑑定要求など、通常の刑事裁判ならいずれも正当な行為として問題にされないこれらの防御行為にことごとくケチをつけ、あたかも「弁護団の不当な裁判引き伸ばしをしている」ように「捏造」報道を繰り返した産経新聞や読売新聞。
 安っぽい正義感で被告人の人権保障という刑事裁判の鉄則を蹂躙した結果は甚大だった。
 一審判決後、日弁連幹部が奔走して受任してもらった弁護士は全員辞任。新たに選任された弁護団も、他に多くの事件を抱えながら、孤独で絶望的な戦いを続けている。

 「裁きの結果」責任を全く問われることのない、正義屋稼業のマスコミ諸氏に問いたい。
 おまえはここまでやって、まだ不満なのかと。
# by foresight1974 | 2006-02-21 22:09 | 正義の手続を考える

横浜事件再審判決雑感「司法の贖罪を回避する優秀答案」

 当ブログの前進である「foresightの未来予想図」でも取り上げたが、昨日、戦時下最大の言論弾圧事件である「横浜事件」で、治安維持法違反で有罪が確定した元被告に対する再審(裁判のやり直し)の判決が下った。
 免訴という灰色決着であった。

 免訴とは、刑の廃止や大赦(恩赦の一種)などで裁判を続ける意味がなくなった場合になどに、裁判を打ち切って言い渡す形式的判決である。事件の内容に踏み込まないため、元被告らにかぶせられた罪が「冤罪だった」と認定されることはなかった。
 (中略)
 再審を決めた東京高裁の抗告審決定は、元被告らの自白は拷問によるものだったと認定、「無罪を言い渡すべき新証拠がある」と判断していた。
(朝日新聞朝刊2006年2月10日)


 上記報道によれば、判決を下した横浜地裁は「刑事訴訟法は免訴でも無罪と同じような補償を認めている」と指摘している。だが、すでに他界している被告らが求めていたことは経済的な補償ではない。このような反駁は司法試験受験生が論文試験で書けば済むことである。
 被告らが求めていたこと、何より「あの裁判は間違っていた」という司法の贖罪なのである。戦時下の言論弾圧に協力したという罪と正面から向き合うということである。

 裁判所は司法機関としての役割をわきまえつつも、時代の背景と向き合わなければならない。持ち込まれた事件の社会背景や時代の流れを見極めつつ、法律家として書くべきこと、論じるべきことを発見する作業なのである。
 そうした意味では、今回の判決は、司法試験受験生の優秀答案ではあっても、実務家の優れた判決とは言い難い内容であった。

参考:
横浜事件再審決定雑感(2003年4月16日)
# by foresight1974 | 2006-02-10 23:00 | 正義の手続を考える

真理を決定するものは、真理それ自体であり、それは歴史を通して、すなわち人類の長い経験を通して証明せられる。(藤林益三)


by foresight1974