保守の再構築、リベラリズム、そして参院選のあとに来るもの(後編)

 3、リベラリズム

 さて、もう一つ、今回の参院選の特徴を指摘しておきたい。
 それは、医師会や建設、農水土木などの組織候補が軒並み苦戦したという現象である。かつては100万票近くを集め、自民党が選挙で常勝するための強固な支持基盤であった組織が崩壊の危機に瀕している。
 他方、民主党の労組系候補は堅調な戦いぶりであり、いわゆる従来の組織系候補の没落といった分析には距離をおいておく必要がある。

 そして、(前編)でも触れたように、今回の選挙において有権者が最も重視したのは年金問題である。本来、こうして選挙の争点が単純化されることは民主主義社会にとって好ましいことではないが、前回の衆院選が構造改革路線の象徴的課題であった郵政民営化が争点であったように、今回の参院選の年金問題は、富の分配に関する重要問題であり、いずれも国政の重要問題であったことはことわっておかなければならない。





 この二つの現象は、リベラリズム(ニューディール・リベラリズム)との関係を考えるうえで重要である。
年金問題を最も強く訴えた民主党が勝利したことは、リベラリズムの勝利と考えられる。しかし、同様の主張は安倍自民党からもなされており、年金問題を公正に解決する、という点では大きな一致点がある。
 要するに、閣僚の不祥事とあいまって「どちらの言い分がより信用できるか」という点で民主党に軍配が上がったのであろう。2年前の郵政民営化は構造改革というより日本郵政の「焼け太り」に終わりそうな気配があるが、年金問題がそうならない保証はどこにもない。
 また、自民党の組織候補が苦戦したという現象は、各種報道で指摘されているように、いわゆる「利権構造」の崩壊ということでは好ましい。しかし、それに代わる新たな「分配手的正義」を実現する構想は用意されているだろうか?

 この点で示唆に富んだ文章を書いたのは、このブログでたびたびご紹介している経済ジャーナリスト・キ文康隆(キは漢字「七」を漢字「森」状に配した字)である。新潮社の国際政治経済情報誌「Foresight」2007年8月号において、宮沢喜一を引き合いに「保守リベラリズムの終焉」を述べている。少々長くなるが、引用してみたい。

 宮沢はそのレッテルを嫌がるでもなく「ケインズの『一般理論』を読み通したこともない人に、ケインジアンだといわれてもなあ」とつぶやくのが常だった。有効需要を作り出すための財政出動のみ注目し、それをケインズ経済学だと考えている人たちを、宮沢は軽蔑していた。
 ケインズの思想の真骨頂は、自由をあらゆる価値の最上位に置きつつ、それと資本主義との危ういバランスを考え抜くことにあった。ケインズは『自由放任の終焉』で「自由を守るためには自由さえも犠牲にすることはある」と考えた。この思想を共有している点で、宮沢はまぎれもなくケインジアンであった。(経済報道解読ノート71・宮沢喜一「ケインジアン」としての墓碑銘)
 
 そして、キ文は宮沢が30年前に『自由新報』(現「自由民主」)に寄稿した論文に注目する。「社会正義のために」と題された巻頭論文で、時の総裁・田中角栄が打ち出していた「列島改造論」―土地を担保にした信用創造で経済の拡大均衡を図る―政策をバラマキとして痛烈に批判したのである。
 この問題提起は残念ながら、その後のオイル・ショックとロッキード事件という政治の荒波に消えていくことになる。そして、宮沢自身、自らの思想の真骨頂であるニューディール・リベラリズムを裏切るような財政拡大に、時には通産大臣として、大蔵大臣として、そして首相として関わってしまうのである。本人は論文を著した14年後、「いまもかわっていない」とインタビューで言明したにも関わらず。

 ニューディール・リベラリズムを批判する人々、支持する人々の議論の混乱は、「財政出動=バラマキ」という単純な図式に乗っかってしまうことに原因がある。財政出動や財産権の制約は、自由を保障するための手段であって目的ではない。その点が看過されている。
そして、キ文は反論する。「リベラリズムは生きていく前提条件を深く考えることから始まる。それは自由を考え抜くことである。」と。
 今回の選挙において、自由を考え抜いた政党があっただろうか?と思うと暗澹たる気持ちにならざるをえない。

 ここで、冒頭に戻って考えてみると、今回の自民党大敗は、安倍政権の不信任という側面だけではなく、70年代から脈々と受け継がれてきた拡大均衡型「富の再分配」政策が終焉のときをむかえつつある、ということではないだろうか。
 そこで(前編)に残しておいた問題に戻って考えてみる。確かに、小沢一郎は一人区で安倍晋三を圧倒した。しかし、小沢一郎がかつての拡大均衡政策を実施しようと目論むならば、いずれ自民党に降りかかった不幸が「ブーメランのように」返ってくることになるだろう。
 民主党がマニュフェストで示した農家へのデカップリング(所得保障)政策や子供手当ての支給は、バラマキなのか分配的正義なのか。その結論はまだ出ていない。有権者が民主党を自民党と「同列」に扱い始めていることについて、民主党にとっては楽観できる状況ではない。

 4、参院選のあとに来るもの

 そして、参議院選挙のあとに来るものの中で最も大きなテーマが、テロ特措法延長問題である。今日の時点では、民主党は反対を鮮明にしており、このまま参院で否決されれば、国内・国際的影響が非常に大きい問題である。
 しかし、すでに(前編)で触れたように、今回の参院選での争点は年金や格差の問題であり、有権者が安全保障について十分考察したうえで投票したとは到底思えない。
 この点は前回の衆院選も同様の問題を惹起した。結局、衆院の構成が変わった後、可決された重要法案は郵政法案だけではなく、教育基本法や国民投票法など保守主義色の濃いものが数多くある。
 こうした民主主義的政治過程の弱点をどう克服していくのかが、今後の課題である。

 リベラリズムという言葉は、学術的にはもっと厳密で多様な分類がなされているが、一般的には、自民党的保守主義、現実主義に対抗するため、革新勢力、非自民勢力を糾合する言葉として定着している感がある。(このことは、自民党内にリベラル派がいない、という意味ではない)
 このような定義を用いて、今後の政治情勢について若干の予測を述べておきたい。
 まず、社民・共産の護憲派リベラリズムは、自らの組織エゴで自滅し、はっきり言って使い物にならないほど衰弱してしまった。彼らに必要なことは護憲ではなく、まず自らの組織エゴに対する総括と、現実的な政治情勢の中でサバイバルを図るための戦略の練り直しである。が、こうした実現性は極めて低い。
 そして民主党と国民新党、新党日本に課せられた課題は、アメリカ―ブッシュ、日本―小泉・安倍の連携で成立している新保守主義的思考に基づく外交戦略に対抗しうる、リベラルな外交戦略を構築できるか、である。
 現時点での政治情勢では、自民党、民主党ともに党内に保守派とリベラル派が同居している状況で、その点では両者に政策的違いはほとんどない。(民主党がリベラル派が若干多い、という程度の差はある。)
 本来なら政界再編となるべきところだろうが、現実のパワーゲームはなかなかそのようには動いていかないであろう。

 とまで考えて、また選挙結果を振り返ってみる。
 当初、私もここまでドラスティックな変化が起きるとは予想していなかった(願望はあったが)。予想していなかった、ということは「考えられないことが起きる」ことが世の中だということだ。

 「考えられなかったことを考える」
 つまり、「アメリカのような覇権国家に日本が戦争の不正義という異議を申し立てる」「アメリカの呪縛を解き放って、日本が政治的独立を図る」といった、現実の延長線上にはない、新しい状況を主体的に作り出すことが必要な時期に来たのではないだろうか。
 未来は、過去の歴史の延長にそのまま存在するのではなく、不確実で偶発的な変化によって様々に変化しうるという一面を、きちんと頭に入れて将来に臨むべきではないだろうか。
 今回の選挙に有権者の一人として、自らを総括するとしたら、多分そういうことなのだろう。
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by foresight1974 | 2007-08-12 11:52 | サイレント政治・社会評論

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