護憲勢力を衰退させる、社民・共産の「エゴイズム」

 参院選の分析が各報道機関によってなされているが、おおむね「民主に期待して入れたわけではないが、自民党にお灸をすえた」という趣旨で一致しているようだ。
 その分析の是非は後回しにするとして、今回は、「お灸をすえる」ことすら期待されなかった、社民党、共産党の「護憲ニ政党」の退潮に触れておきたい。

 国政選挙において「憲法問題」を重視して投票する方は、改憲への批判の受け皿として社民党や共産党への投票を検討されるであろう。
 だが、残念ながら今回も両党は議席を減らし、いよいよ退潮が決定的となってきた。

 その原因は何だろうか?
 憲法改正問題への国民の無関心だろうか?確かに各種世論調査において、有権者が重視する政策課題で「憲法問題」は下位にランキングされることが多い。そのため、護憲を旗印にしている両党が、与党批判の受け皿になりにくかったという面は否定できない。
 だが、原因はそれだけだろうか?
 かなりの推論を重ねる話になるが、真の原因はこの両党の「内部」にあると思えてならない。しかも、病理は深刻なのではないだろうか。



 90年代、まだ10代で政治に目覚め始めたばかりの私の素朴な疑問は、「言っていることも主張もさほど違いがあると思えない、社会党と共産党はなぜニ政党に分かれているのか?」ということだった。
 30代になった今でこそ、その「いきさつ」たるやかなりトリビアな知識まで仕入れてしまっているが、普段の日常生活に忙しく、政治にさほど関心があるわけではない有権者に「社民党と共産党の違いは?」と聞いても、本質に迫るような回答は得られないであろう。

 共産党と社民党は、その成り立ちに大きな違いがある。コミンテルン(レーニンが創設した国際的な労働者組織)の日本支部として結党した共産党は、発足直後から非合法政党として扱われ、戦前は治安維持法に基づき激しい弾圧を受けた。それに対し、社民党は戦前の無産政党(労働者階級の政党で合法政党)の流れを組んで、日本社会党として結党した。いずれも「革命」を志向していたが、社会党はあくまで「平和的革命」を目指していたのに対し、共産党は、戦後合法化してしばらく軍事革命路線との間で揺れ動くことになる。

 社会主義・共産主義革命を志向していた両党が「護憲勢力」の担い手になったいきさつは、広く知られているように、多分に政略的理由である。
 憲法施行後しばらくして冷戦が激化すると、自由党などの保守政党はGHQの意向を受けて再軍備を画策するようになる。
 これに対し、社民党の前身である社会党は1950年の平和四原則で再軍備反対を打ち出して護憲勢力の支持を集め、また共産党も1951年に再軍備反対の演説をした議員が除名の憂き目に遭っている。
 だが、両党とも「先の戦争に対する反省」などという殊勝な理由であるというよりは、日本の再軍備は、アメリカ帝国主義の手先になることだという、「反帝国主義闘争」としての側面が強く、両党がはっきりと「ポジショントーク」としての護憲に踏み切るのはしばらく後になる。

 「護憲勢力」として広く認知されるようになった後、両党が共闘を模索した時期もあったが、公明党や民社党などの多党化が進むにつれ、社会党は公明党や民社党との共闘路線を歩むようになり、共産党もまた、国際共産主義運動とも距離を置いた独自路線を歩んでいく。
 こうして、「護憲」という点では限りなく重なる円を両党とも持ちながら、政権交代のために一度も本格的な共闘路線を歩むことなく、冷戦の終結を迎えることになる。

 冷戦終結は両党に致命的な打撃を与えた。
 共産党に代わって中国や北朝鮮、ソ連に近づいていた社会党は、社会主義国の崩壊と路線変更に全くついていけなかった。
 また、共産党も官僚主義的な体質が、古典的な民主集中制による革命路線を修正することが大幅に遅れてしまった。また、宮本顕治のようにいつまでも権力にしがみつく老害者を排除することができず、今では現実的な野党共闘が不可能な状態に置かれている。

 「護憲政党」としての社民党、共産党の政治史を一通りおさらいしてみたとき、疑問に浮かんだことがある。
 それは、両党にとって今でも「護憲」はポジショントークに過ぎないのではないか。ということだ。
 もっと言ってしまえば、たとえ自民党と民主党、公明党などの談合によって憲法が改正されたとしても両党は失うものはもはやないのではないか。
 なぜなら、共産党はこれからも革命政党として「憲法を改悪した張本人たち」を批判しつづけることができるし。社民党も「共産党的体質が苦手な平和勢力の受け皿」としてのポジションを確保すればそれで満足なのではないか。という疑惑である。
 要は、自分たちの護憲勢力としての「自己満足」が図れればそれでいいのではないか。共産党など衆議院300小選挙区のほとんどに、当選する見込みがほぼないにも関わらず候補者を立て続けているのは、理念に殉じた独善に溺れている、最たる例であろう。
 
 憲法改正問題、こと9条に限定して考えてみる限り、今回の参院選の結果はさほど悲観するものではない。先日、朝日新聞が報じたように、憲法改正に反対、あるいは慎重に考える議員は参院では3分の1を大きく越えており、与野党対決が深まる中で、憲法審査会の設置もままならない状況である。
 だが、今後を考えると決して楽観はできない。なぜなら、護憲の担い手として期待しうる社民党と共産党が、自らの政治理念にこだわるあまり、「改憲阻止」をいう結果を念頭に置いた政治共闘を期待しずらくなっているからだ。
 社民・共産が自らの「エゴイズム」を捨て、真に国民を守るために護憲勢力としての再編に踏み切らなければ、9条の危機を救うことはできないのである。
 そしてその見通しは非常に暗い。社民党も共産党も安倍晋三を笑えないくらい、自己陶酔の海に溺れているからである。
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by foresight1974 | 2007-08-09 01:01 | サイレント政治・社会評論

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