foresightの憲法哲学(28)「絶対的平和主義というリアリズム(2)」

 さて、前回では愛敬浩二が「改憲問題」(ちくま新書)で示した「絶対平和主義のリアリズム」の要点を説明した。
 もう一度敷衍すると、愛敬が同書で引用した憲法学者・樋口陽一の以下の言葉に尽きることになる。

 戦後憲法学は「非現実的」という非難に耐えながら、その解釈論を維持してきた。・・・・・・その際、過小に見てはならないのは、そういう「非現実的」な解釈論があり、また、それと同じ見地に立つ政治的・社会的勢力・・・・・・があったからこそ、その抑止力の効果を含めて、現在かくあるような「現実」が形成されてきたのだ、という事実である。





 私は、この意見自体を否定するものではない。
 だが、この意見は決定的な弱点がある。
 それは、改憲派勢力からの批判に対して、何も答えを出していないということである。つまり、彼らがよく提示する陳腐な比喩―「自分の家に強盗が押し入ったとき、武器もなしに家族を守れるのか?」―の批判が妥当してしまうということである。
 愛敬が答えたものは、あくまでも現実政治に対する護憲という考えの「視座の転換」にすぎない。百歩譲って、愛敬らのいうところの「武力なき平和」のために、非武装中立へ政策を転換したとしても、それが実現できるかどうかは全く明らかではない。
 愛敬は同書の中で「理想を諦めるつもりはない」と述べるに止まっているが、この点への回答がないというのは、いささか無責任がすぎると思う。

 また、こうした見方は「絶対的平和主義」の実現性に関して、非常にシニカルである。
 かつて、60年代から80年代にかけて、環境問題から戦後保障、日米安保など様々なテーマに関わる憲法訴訟が数多く起こされてきた。その多くが保守的な裁判所の判断の前に敗れ去ったわけであるが、そのときの原告たちの言い分の中に、敗北したとしても問題点を指摘することで、護憲運動としての成果を誇るものがあった。
 私は、訴訟には勝ちさえすればいいという考えには反対である。だが、最初から勝敗に関してある種の諦観を以って望むというのは、自己が掲げる理想に対する背信であると思う。
 保守的な裁判所、国会内で圧倒的勢力を占める改憲勢力に対する無力感に苛まれる気持ちはよくわかるつもりだ。
 だが、それを言ってしまえばおしまいであろう。

 そこで、私は考えた。
 本連載の(22)~(25)において、改憲派の論拠となっている「防衛力」や「抑止力」といった思考が、実はそれほど現実性のある考えというわけではなく、ある種の幻想や前提的条件の下で限定的に実現するにすぎないことを明らかにしてきた。
 そこで、次回より絶対的平和主義はどのような前提で成立するかを明らかにし、改憲派の主張との優劣に決着を付けておきたい。
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by foresight1974 | 2007-01-03 16:35 | 憲法哲学

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