法律を変えても「愛国心」なんか育たない

 傍目からは異常なまでの執着心にみえたが、ついに教育基本法の改悪が強行されてしまった。
 憲法や人権を守る大きな砦の一つが陥落したとみることもできるし、リベラル・革新陣営は怒りの声を上げている。しかし、圧倒的な実力差を考えると、いずれは覚悟すべき事態だったともいえる。

 とはいえ、教育基本法を改悪したところで、当面は大きな変化を心配しなくてもいいのではないかと考えている。
 というのも、保守の思惑どおりに教育を変えようとしても、そこにいる人間を明日からどかすわけにはいかないからである。





 法的にまず想定される事態は、愛国心を定めた条項、不当な支配の禁止に例外項目を設けた条項について、憲法違反であるとの訴訟が多数起こされるだろう。
 そうした場合、最高裁判所で判決が確定されるまでかなりの時間が予想され、また、たとえ合憲の判決が出たとしても、憲法の人権規定と整合的な解釈をするため、当初想定されたより、かなり限定された解釈がほどこされることも予想されるため、保守陣営が考えているより、はるかに限定的な効果しか生み出せない可能性もある。

 また、たとえ保守陣営の思惑どおりに、教育現場にナショナリズムの広汎な介入を実現できたとしても、その効果たるや大いに疑問である。
 例えば、アメリカは日本よりはるかに愛国心を教えられる契機の多い国ではあるが、イラク戦争以降、国内の志願兵が激減しており、メキシコやフィリピンからグリーンカードのエサをぶら下げて募集しなければ戦争を継続するのは不可能なほど、深刻な状況に陥っているのである。
 つまり、学校のセンセイに愛国心、愛国心と連呼されても、本質的に人間は自己中心的なのであり、自己の生命を犠牲にして国家に捧げようという人間は、豊かな社会になればなるほど、集めるのは難しいのである。
 そして、日本はその点で、もはや取り返しがつかないほど豊かになっている。
 各種調査で明らかになっているが、各国との比較において、日本国民は、他国から侵略を受けた場合、武器をとって戦うと回答する人間の割合が非常に低い。
 また、教育基本法「改正」に万歳三唱の、ネットのお子様ウヨクの皆さんですら、「自衛隊が戦うこと」には賛成であっても、「自分が戦う」ことにおいては大いに否定的である。(これがまた、軍事マニアの知識を総動員して「否定」してみせるのである。苦笑)
 もちろん、「いざ」となったら国は宣伝でも何でもするのだろうが、既存のメディアによるプロパガンダの影響力がネットにどんどん侵食される現状において、保守陣営の思惑どおりに、国民が愛国の下に団結できるかどうか、一つの確信ももてまい。

 結局のところ、愛国心の下に国民を団結させるには、教育で愛国心を教えるだけでは片手落ちであり、徴兵制など何らかの強制手段を講じない限り、「戦争のできる国」にすることは無理なのである。せいぜいが自己満足のレベルに止まるであろう。

 また、ウルトラC的にはこんな考え方もできる。
 愛国心を教えると教育基本法に定めても、「何を」もって愛国心とするかは条文には一切、記載されていない。ここがミソである。
 かつて、1950年代に革新・リベラル陣営も愛国心教育に熱心だった時代があることをご存知だろうか?
 これは、主に自由民権運動や中世の民衆蜂起を題材に、「下からの変革」を起こす力をこの国は持っているということを啓蒙するためであった。
 こうした教育が60年代の反安保闘争を下支えしているのである。

 愛国心といっても、別に安倍晋三ごとき下衆から教えてもらういわれなどない。
 かつて、行政改革が政治問題化したときに、官僚たちがそうしてきたように、保守の愛国心などという陳腐なキレイゴトなど、骨抜きにする手法をいくらでも思いつけばいいのである。
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by foresight1974 | 2006-12-17 18:25 | サイレント政治・社会評論

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