「論議することが外交カード」という発想の貧しさ

(以下の文章は、本日、カフェグローブのNews板に掲載したものです。

F:
まずは、以下のやる気マンマンの記事をお読みいただきたい。
全国平均の購読率が数パーセントという新聞が考えた、「有権者の健全な国防意識」という、無残な妄想である。

平成18年10月18日付・産経新聞「産経抄」




 一体、何がけしからんというのか。自民党の中川昭一政調会長の「核発言」である。いや、こういう言い方が誤解を招く。中川氏はテレビ番組で、こう語ったのだ。「憲法でも核保有は禁止されていない。議論はあっていい」と。

 ▼北朝鮮の核実験発表を受けて、与党の政策責任者が、安全保障をめぐるタブーなき議論を呼びかけるのは当然のことだ。それを許さないという声が、野党や公明党だけでなく、自民党のなかからも相次いでいる。

 ▼与野党がこぞって、“言論封殺”に走る気持ちは、わからないではない。22日の衆院統一補選に与える影響を推し量っているのに違いない。確かに16日付小紙に掲載された世論調査では、「日本は核武装すべきか」という問いに対して、「すべきでない」の答えが82.4%と圧倒的多数だった。

 ▼問いが「議論すべきか」だったら、どうだろう。「すべきでない」が多数を占めただろうか。日本人の核アレルギーがいくら強いといっても、核廃絶を訴えるだけで、安全が保障されると信じている人はもはや少数派だろう。小欄は、米国に追従するな、と日ごろ主張している議員の皆さんの意見をぜひ聞いてみたい。「核の傘」から出た日本を守ってくれるのは何ですか、と。

 ▼すでに論壇では、中西輝政京都大学大学院教授らが、活発な議論を繰り広げている。「核武装論」そのものが「中国や北朝鮮に対してだけでなく『対米カード』としても有効に働く」からだ(『「日本核武装」の論点』PHP研究所)。「論」だけでも、ある程度の抑止力になるということか。

 ▼中川発言が、与党側の不利に働くと決めつけるのは早計だ。有権者の健全な国防感覚を見くびったら、手痛いしっぺ返しをくらうだろう。


F:
エキセントリックという言葉は、まさにこのような方のためにあるのだろう。
全国でそれほど目に止める人がいない、一介の新聞社の一見解としてなら、憲法が定めた表現の自由としておおいに結構であるが、国政に参与する政治家の発言の「重み」として、そうしたメッセージを送るべきかどうか、全く無邪気でいられるというのならば、それは表現の自由ではない。産経新聞がもっともお嫌いな「無責任」ではないのか?

さて、冒頭の記事に出た、中川の発言には、若干の語弊がある。
政府の公式見解では、核兵器の「保有」は憲法上禁止されていない、というのは法律上の自衛戦争に限られる、という前提である。
そして、核兵器の「行使」は憲法上禁止されている。中川の発言の趣旨は、厳密にいうと政府見解と異なる点にご注意いただきたい。

ここからは、全く個人的な見解だが、私は、憲法上核兵器を保有することも、行使することも不可能だと考えている。
なぜなら、核兵器の性質そのものが「自衛」に全く向いていないからである。
自衛目的で核兵器を行使する場合、二つの想定が考えられる。相手が核兵器を行使した場合と、行使しない場合だ。
後者の場合、明らかに自衛の相当性を越えており、違法性を免れることはない。
前者の場合はどうだろうか?この場合、すでに日本国内は核の炎に包まれ、甚大な打撃を受けている。ここで核兵器をもって反撃することは、つまるところ、滅亡寸前の国家を「防衛」するために行使するというわけである。
こんな兵器が自衛のために使えるといえるだろうか?狭い国土で広島型原爆の何千倍もの破壊力を持つ兵器の意義はほとんどないといっていい。
南北に細長いものの、狭い国土ゆえ、いったん核兵器が使用されたら、その被害は全国的に拡大するだろう。憲法解釈論から見ても、現実の軍事的見地からみても、日本は核兵器を相手に使わせないような国際環境を構築するほかに手段がない国なのである。

もちろん、こう切り返す方々もいるだろう。中川の発言は、あくまで「議論しよう」ということだ。現実に持つとはいっていないし、実際に、非核三原則を遵守すると再三明言しているのではないか?と。
だが、考えてみて欲しい。国際政治の現実で、以下のような珍奇な論理を公式の場で滔々と展開する国はどう思われるだろうか?
「我々は殺人は絶対に許されないことだと考えておりますが、殺人が良いか悪いかは議論しております。」

こんなこと北朝鮮の外交官が聞いたら、せせら笑うに決まっている。結局は持つ「根性」がないものと、足下を見られるのがせいぜいであろう。
このような馬鹿げた意見が「外交カード」になると、冒頭に引用した中西某は本気で信じているらしいのである。
こんな男でも京大教授が務まるという。高坂正尭が生きていたら、このような政治遊びを断じて許すことはなかったであろう。
京大も先は長くないようである。

まさか、政治の現場で実務を取り仕切る中川や麻生が、このような妄想に囚われているとは思えない。
(いや、絶対ないとはいいませんが。苦笑)
一度といわず、何度も執拗に自己の見解に固執する背景には、もっと別の理由があると考えるべきではないだろうか。
一部報道で指摘されている、いわゆるガス抜き論だ。

首相・安倍晋三の就任直後、国会において、自己の従来の見解を修正する答弁が相次いだ。
非核三原則や歴史認識において、河野談話や村山談話を「自分も含めて政府として引き継いでいる」と明確に答える安倍。
「君子豹変ですか?」と皮肉たっぷりの社説を掲載した朝日新聞ほどではないにせよ、安倍を思想的に支持してきた人々はかなり苛立っていたと言われている。

今回の中川や麻生の発言について、安倍の姿勢は「個人的見解なら結構」という点で一貫している。
要は、立場上自分は言えない事を取り巻きが代弁することを容認することで、安倍に苛立っていた人々のガス抜きを狙ったのではないか。
そういう意味ではいたって国内政治向けのパフォーマンスであるといえるだろう。とするならば、さほど心配する事件でもないと思われるかもしれない。

だが私は、ただ一点、一連の論争の結果で危惧していることがある。
この論争を通じて、安倍政権は、将来において非核三原則を放棄することを目指すのではないだろうか?

核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず
すでに広く知られているように、この三原則には現実的な例外がある。一番最後の「持ち込ませず」だ。
現在、政府の公式答弁は「米軍が核兵器を持ち込んでいないと「信じている」」という見解で一貫している。
非核三原則を放棄して、アメリカ軍の核兵器の持ち込みを合法化する。これが、「核兵器の保有論議」の本当の狙いなのではないか。
非核三原則は国是といわれているが、法律上の裏づけは全く存在せず、法律の改正要件は必要とされていない。1967年(昭和42年)の時の首相・佐藤栄作の国会答弁を修正すれば済むのである。

現在、安倍政権が狙ってる憲法改正や集団的自衛権の行使は、軍事的にいえば、アメリカ軍と自衛隊との連動性を高め、日本の軍事的プレゼンスを高めようという目的がある。
だが、現実に得られる果実はせいぜい、「アメリカ軍の下請け機能」としての自衛隊の強化。日本の国民の意思、国益に沿うか沿わないかに関わらず、アメリカの「駒」として組み込まれる結果になるだけだろう。
ましてや、日本にいつまでも「属国」でいてもらいたいアメリカが、日本の核兵器保有など絶対に認めるわけがない。

それが、保守の再構築を目指す政権の実際である。
どこまでもアメリカ様の顔色を伺いながら、生き伸びていこうというわけである。
貧しい。実に発想が貧しい。
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by foresight1974 | 2006-11-05 22:45 | 9条問題

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