ゲイツ、バフェット、そしてノジック

 新潮社の国際政治経済情報誌「Foresight」の久々のヒット作である。
 同誌の2006年8月号で、キ文康隆(キは漢字「七」を漢字「森」状に配した字)、梅田望夫、会田弘継という3人の論客が、こぞってビル・ゲイツの財団運営をめぐるニュースを取り上げた。そのどれもが秀逸なコラムなっているので、是非ご紹介したい。
 ビル・ゲイツは6月中旬、マイクロソフト社の経営を2008年に引退し、夫婦で運営する慈善財団に専念すると発表した。そして6月下旬、その財団に世界第2位の富豪ウォーレン・バフェットが寄付をすることが分かった。
 世界中が仰天したこのニュースを、稀代の経済評論家、シリコンバレーで戦い続ける数少ない日本人経営者、そして日本で指折りの政治ジャーナリストはどう見たのか。



 まず、このニュースを「鳥肌が立つような感動」を味わい、そして「虚を突かれた」と書いたのは梅田である。
 「長年、ビル・ゲイツについて考えていながら、彼が慈善財団の運営にここまで本気だとは思ってもみなかった」と心情を吐露している。
 それは、決して不自然なことではない。ゲイツの若き日を知るアスキー社長の西和彦の言葉(「古くから彼を知る者として信じられない。彼は競争するのが何よりも好きな人。福祉財団の会長に納まっても戦う相手がいない。」)を引用し、そのニュースが「ゲイツを知る者たち」にとってどれほど「意外」であったかを何度も強調する。
 また、その「意外」な思いは、ウォーレン・バフェットにも向けられる。「二人の精神的な結びつきがこれほどまでに深かったとは・・・・・。」

 ゲイツとバフェットは、今後、「世界中のプロジェクト群から選び抜いた慈善事業ポートフォリオ(医療、教育・・・・・)を組成し、個々のプロジェクトの成果を厳しく評価しながらポートフォリオを組み替え、投資対経済効果ならぬ寄付対社会貢献効果の最大化」を目指していく。
それは「カネを稼ぎ増やすよりも、カネを正しくつかうことのほうがずっと難しい」ことを知りぬいているゲイツにとって、未知への新しい挑戦なのだ、と梅田は見ている。



 「すでに必要以上に富裕になっている人たちが、裕福さを表示するという以外にほとんど、あるいはまったく快楽を生むことがないもろもろの物を消費する資力を倍加するということが・・・・・なにゆえ喜ぶべき事柄であるのか、私には理解できないのである。」
 ジョン・スチュアート・ミル「経済学原理」の一節を冒頭に引用したのは、キ文である。
 普遍性に富んだこの一節が、「このニュース」を見る視点として援用されていく。

 キ文が「世界最強の経営者と世界最強の投資家」と評するゲイツとバフェット。かつて慈善事業に興味を示さなかったゲイツを心配し、父親がバフェットに教育を頼んだという事実を紹介している(これで、西や梅田の発言に合点が行くだろう)。キ文はナード(オタク)だったゲイツの人間的変化(成熟)を的確に捉えている。

 4兆円近くの財団の運営には、国家を超える影響力と国家を超えるマネジメント能力が必要になる。
 ゲイツがマイクロソフトの経営から退いて財団運営に専念するということでバフェットにその「決意」を示し、バフェットは、「弟子(ゲイツ)に対する答礼」として巨額の寄付で答えたのである。

 「自分で稼いだ金をすべて自分で使い切るつもりはないが、なんらかの形でその配分には関わりたい。それは古今東西の、巨額の富を築いた金持ちたちの共通項である。」
 ミルが示唆した、金持ちたちの行動原理をキ文は鮮やかに解き明かすのである。



 そして、その行動原理の背景となる思想に迫ったのが会田である。
 アメリカの思想家たちを巡る連載を続けていた会田にとって、「このニュース」はまことにタイムリーなものだったに違いない。ちょうど、リバタリアニズム(自由至上主義)を巡る議論に差しかかっていたからだ。

 リバタリアニズムとは、私的財産権もしくは私有財産制を個人の自由を確保する上で絶対的に必要不可欠な制度原理と考える政治思想である。
 宗教的迫害から逃れた開拓時代、イギリスの重税に抗した独立戦争―。「最善の統治は最小限の統治である。」というジェファーソンの言葉を引用して、会田はアメリカには常に「大きな政府を嫌う潮流があると指摘する。
 リバタリアニズム=古い自由主義という捉え方から、現代の保守主義と混同されることがあるが、欲得づくの算段がからむこうした考えとは一線を画している。ネオコンとも異なり、思考は非常に内向きで、最近では「夜警国家の理想郷」をつくるためにニューハンプシャー州への移住計画が話題を呼んでいる。
 リバタリアンの思想的源流は、ジョン・ロックにさかのぼる。20世紀に入り、F・A・ハイエクやミルトン・フリードマンが理論化し、ロバート・ノジックが「アナーキー・国家・ユートピア」で体系化を試みた。
 ノジックが同書を著したとき、政治思想の世界はジョン・ロールズのリベラリズムが全盛期を迎えようとしていた。ノジック自身はロールズの著した「正義論」に心酔したといわれるが、ロールズとの対話や競争講座においては、その巧みな話術とレトリックで痛烈な批判を展開した(このあたりを、レーガン時代の政策レトリックに取り入れられることが、リバタリアニズム=新保守主義という誤解を生むもとになったらしい)。
 リバタリアニズムの本質は「徹底した国家不干渉」である。だが、その主義を貫徹したときに、疑問が出てくる。リバタリアン(自由至上主義者)に「公正な社会をつくることができるのか?」という疑問だ。
 そこで、会田はゲイツとバフェットの動きに注目したのである。
「さまざまな動機が背景にあるにせよ、個人資産を投げ出すようにして巨大な慈善基金をつくる資本家たちが陸続と現われたのがアメリカだ。政府や国家だけが公正や正義への責任を担うわけではない。」(後掲の会田のコラムより)

 「リバタリアニズム哲学の金字塔となった同書(「アナーキー・国家・ユートピア」)は、ノジックが著したというよりも、アメリカの根っこにある力がノジックを突き動かして書かせた思想書」という、ノジックに対する会田の弔辞は、哲学用語でうたわれたアメリカという「詩」―ここでいうアメリカの力―自由に対する素朴な信頼という、思想的パワーが、ゲイツとバフェットに受け継がれていることを示唆しているのではないだろうか。



 この3つのコラムで唯一惜しまれるところは、ゲイツの父親、そしてメリンダ・ゲイツ夫人の「影響力」に関する考察が薄いところであるが、もともと内幕レポートではないので仕方がないだろう。
 ゲイツとバフェットに関する、日本を代表する3人の論客たちの考察は、安っぽい「新保守主義」が蔓延する日本社会の「これから」に、新しい視座を提供してくれるはずである。



※参考
「Foresight」2006年8月号(新潮社)より
「シリコンバレーからの手紙119/虚をつかれ、感動したビルゲイツ「後半生」の選択」(梅田 望夫)
「経済報道解読ノート59/ゲイツ「巨大財団」が富の配分を変える」(キ文 康隆)
「追跡・アメリカの思想家たち/連載第16回「開拓者精神に根差すノジックの「最小限国家論」」(会田 弘継)
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by foresight1974 | 2006-09-10 19:27 | サイレント政治・社会評論

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