川淵三郎、腹を切れ。
2006年 06月 25日
昨日は、突然の事態の急変にびっくりし、眠れぬまま一夜を明かしたが、だんだん腹が立ってきたので言うべきことを言おうと思う。
「<サッカー日本代表>新監督人事、思わず明かす…川淵会長」
経営者・組織人としては失格であろう。
本当に失言だとしたら、余りに軽率すぎるし、セコイ算段が働いていたとしたら人間としての良識を疑う発言だ。イビツァ・オシムを愚弄するとは大した度胸だと言っておこう。
その非礼とあざとい計算については、「セルジオ越後コラム・なぜ帰国の日に発言?惨敗の追及かわしか!!」が十分に私の怒りを代弁していただいているので、再言はしない。
昨日の「失言」について、読売新聞が「川淵会長「オシムには…」、ドタバタ劇は失言?計算?」という観測記事を掲載しているが、そんなこともどうでもいい。
イビツァ・オシムという男。もし、川淵のセコイ策略だとしても、それに欺かれる男ではないし、本当に失言だとしたら怒りはするだろうが、それだけで代表監督を辞退するような、器が小さい男でもない(礼儀を考えたら断って当たり前の状況ではある)。
協会がもし、オシムを熱望するならば、話が決まってから川淵が会うのではなく、会長自ら三顧の礼を尽くしてオシムと交渉するべきであろう。もっとも、川淵にオシムをJEFに招聘した祖母井氏ほどの器をお持ちならば、であるが。
何より、オシムの意志が問題だ。彼が代表監督を引受けようと、引受けまいと、彼なりの定見があってのことだろう。4年間、オシムの知性、誠意、指導への情熱と未来への野心、そして人間としての温かさを間近で見てきたサポータの一人として、それは確信している。
だから、監督という生き物=オシムが彼らしい決断を下してくれさえすれれば、それだけで満足だ。
問題なのは、グループリーグ敗退という無様な結果への総括もなしに、新監督人事に浮かれている川淵のニヤけたツラである。
まず、おまえは腹を切れ。話はそれからだ。
(追記)
宇都宮さん、どうもありがとう。
「<サッカー日本代表>新監督人事、思わず明かす…川淵会長」
経営者・組織人としては失格であろう。
本当に失言だとしたら、余りに軽率すぎるし、セコイ算段が働いていたとしたら人間としての良識を疑う発言だ。イビツァ・オシムを愚弄するとは大した度胸だと言っておこう。
その非礼とあざとい計算については、「セルジオ越後コラム・なぜ帰国の日に発言?惨敗の追及かわしか!!」が十分に私の怒りを代弁していただいているので、再言はしない。
昨日の「失言」について、読売新聞が「川淵会長「オシムには…」、ドタバタ劇は失言?計算?」という観測記事を掲載しているが、そんなこともどうでもいい。
イビツァ・オシムという男。もし、川淵のセコイ策略だとしても、それに欺かれる男ではないし、本当に失言だとしたら怒りはするだろうが、それだけで代表監督を辞退するような、器が小さい男でもない(礼儀を考えたら断って当たり前の状況ではある)。
協会がもし、オシムを熱望するならば、話が決まってから川淵が会うのではなく、会長自ら三顧の礼を尽くしてオシムと交渉するべきであろう。もっとも、川淵にオシムをJEFに招聘した祖母井氏ほどの器をお持ちならば、であるが。
何より、オシムの意志が問題だ。彼が代表監督を引受けようと、引受けまいと、彼なりの定見があってのことだろう。4年間、オシムの知性、誠意、指導への情熱と未来への野心、そして人間としての温かさを間近で見てきたサポータの一人として、それは確信している。
だから、監督という生き物=オシムが彼らしい決断を下してくれさえすれれば、それだけで満足だ。
問題なのは、グループリーグ敗退という無様な結果への総括もなしに、新監督人事に浮かれている川淵のニヤけたツラである。
まず、おまえは腹を切れ。話はそれからだ。
(追記)
宇都宮さん、どうもありがとう。
by foresight1974
| 2006-06-25 10:28
| サイレント政治・社会評論