映画は「揺り戻し」の始まりになるか

 最近、時代の「流れ」を織り込んだドラマや映画が目に付く。
 
 正月番組で一番印象に残ったのは、TBSで放送された「里見八犬伝」だった。滝澤馬琴の原作をアレンジした作品が多いが、今回もその一つと言えよう。そして、番組後半になって作り手のメッセージははっきりしてきた。
 「争う」ことの愚かさ、これに尽きる。
 最近はこうした「反戦」番組も洗練されてきた。一昔前のような「押し付けがましさ」とか、女性(特に若い女性)の口を借りた「熱い反戦メッセージ」というものはない。あくまで、争うそれぞれの人間の弱さにぴったり寄り添った、見る側に受け入れやすい形に変わってきている。

 こうしたメッセージ性のある作品が見られるようになったのは昨年からだろうか。
 嚆矢となったのは、ニコール・キッドマンとショーン・ペンが主演した「インタープリター」だ。国連を舞台にしたサスペンスだが、実は、こうしたポリティカルサスペンスにつき物のある人物が登場していない。
 アメリカ大統領その人である。これまで、ポリティカルサスペンスでは常に重要なスパイスとして位置していたこの登場人物はこの作品では影も形もない。
 それもそうだ。この作品は「今のアメリカのあり方」にとても批判的だからだ。「最近、この国は評判が悪い」と嘆く主人公の上司、「テロ対策」を口実に反政府勢力を弾圧する親米派のアフリカの独裁者。。。アメリカに対する端々の痛烈な批判が大統領のご登場をためらわせたのである。

 また、「スターウォーズ・エピソードⅢ」に出てくる、銀河帝国誕生までのプロセスも警句的だ。民主主義の失敗、テロ対策を口実にした言論統制、そして創作された熱狂的支持。。。というストーリーも決して「今」の時代に無関心ではいられない作り手の意図を感じる。

 スピルバーグも遅まきながら、この流れに気がついたようである。2月に後悔される「ミュンヘン」は、実在の事件を題材に「今」を鋭く問いかける作品である。

 こうした表現者たちの努力に対し、状況は決して楽観出来ない。だが、少なくともリベラルな言論はいまだ死んではいない。
 
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by foresight1974 | 2006-01-04 21:47 | サイレント政治・社会評論

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