集団的自衛権の「解釈改憲」はなぜ間違っているのか(6)

さて、安倍政権が集団的自衛権に関する憲法解釈を変更した結果、解決が放置されている理論的な問題がもう1つある。
前回記事の冒頭で掲げた、憲法9条の解釈の枠のうちの、
(6)武力による威嚇の永久放棄
(7)(同)武力の行使の永久放棄
である。

この2点については、「戦争の放棄」とは別個独立で放棄されていることに意義がある。
つまり、政府解釈においては戦争の放棄には当たらず、自衛権の行使に過ぎない場合であっても、武力による威嚇や武力の行使は放棄した以上、してはならないことになるからだ。
自衛隊合憲説+個別的自衛権合憲説の立場からすると、他国からの侵略に対する、個別的自衛権の行使が、これらに抵触しないことについては異論はない。あくまで「国際紛争を解決するために」禁じられているものであって、自国の存立を脅かす危機的事態についてまで、武力による威嚇や武力の行使を禁じたものではないからだ。

しかし、集団的自衛権の場合については、いかなる理論的立場に立ったとしても、重大な矛盾が生じる。




前回記事で引用した政府解釈を再度見てみよう。
集団的自衛権とは、「国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利をいう」とされている。
したがって、ここにいう「実力をもって阻止」ということが、憲法9条1項で放棄した「武力による威嚇」や「武力の行使」に抵触することになるのか、という理論的問題を生じる。

実は、「武力の行使」については、国際法で非常に重要な判例がある。
国際司法裁判所(ICJ)1986年6月27日に判決を下したニカラグア事件である。
以下、国立国会図書館「レファレンス」(国立国会図書館調査及び立法考査局が刊行する、国会の諸活動から生まれた資料・情報、国会の立法活動・行政監視活動に資する資料・情報を、国会議員および国民に提供することを目的とした月刊誌)平成22年1月号に掲載された、外交防衛課・松山健二の調査論文「国際法及び憲法第 9 条における武力行使」に基づいて解説したい。
ニカラグア事件とは、ニカラグアに対する軍事行動などの違法性を主張し、1984年4月9日にニカラグアが違法性の宣言や損害賠償などを求め、国際司法裁判所(ICJ)にアメリカ合衆国を提訴した国際紛争である。1979年にニカラグアに成立した左翼政権の打倒を目指したアメリカの、ニカラグア国内の反政府勢力・コントラに対する軍事援助が、国際法に違反するか争われたものである。
1986年6月27日に下された判決で、ICJは、アメリカの軍事援助が国際法に違反すると認定したうえで、アメリカに対し、ニカラグアへの損害賠償を命じたが、その判決の中で、武力行使の定義について判断基準を示している。
ICJは、武力行使には、極めて重大な形態のものである武力攻撃と、より軽い形態のものである武力攻撃に至らない武力行使を区別した。このうち、「武器の提供、兵站又はその他の支援」が武力行使禁止原則でいう武力行使に該当する場合があるという基準を示しているのだ。

ところが、日本政府はこの判決について、政府は、平成11年5月20日の外務省条約局長の答弁において、ICJ 判決は「個別の事案について判断し、個別の事案の文脈に照らして理解する」ものであり、「この判決においては武力の行使や干渉」として「武器、兵たん、その他の支援の供与というものの援助」が「みなされることもあり得る」とするが、「一般論として、何が武力の行使とみなされることになっているかについて、この判決では全く明確になっていない」と評価している。また、武力行使と兵站活動については、武力行使とは「専ら実力の行使に係るものと解されております。したがいまして、通常理解されておりますところの兵たん活動、こういうものは含まれていないというふうに解すのが一般的である」としており、憲法上禁じられている武力行使に該当するケースを、国際法上の武力行使の定義より狭く解釈しているのだ。

以上の松山の調査論文による議論の整理を踏まえ、以下私見を展開する。

さて、このままでは、日本政府が実施する他国に対する兵たん活動は、憲法9条1項で禁止されていないため、憲法違反とはならず、政府は実施可能ということになる一方、国際法では「武力行使」に該当するため、国際法違反に該当するケースが生じる、という重大な矛盾を生じさせることになる。
そこで、日本政府が独自の解釈基準を示すのが、「武力行使一体化」論である。これは、武力行使を行う他国の軍隊(集団安全保障措置によるものを含む。)に対する支援については、それが当該武力行使と一体とならないものは許されるとする考えである。武力行使一体化論は、1990年代のいわゆるPKO法案の審議において示されたのを嚆矢としており、以後、日本が海外で軍事的な活動を実施する際の歯止めとして機能するはずであった。
が、この武力行使一体化論は、歯止めというより日本の海外での軍事活動を拡大する方向へ機能してしまう。
90年代のPKO法案では、国連の平和維持活動の一環として、PKO参加5原則などの歯止めがかかっており、90年代後半の周辺事態法や日米ガイドライン改定においても、国際法上、集団的自衛権の行使に近いケースでも、日本周辺における軍事活動に限定することで、個別的自衛権の範囲内に説明を止めることも、理論的にできないわけではなかった。
タガが外れたのは2001年のアメリカの同時多発テロ事件を受けた、テロ特措法からである。日本域外において、国連の平和維持活動でもない、外国の軍隊に対する軍事的支援(同盟国でない国も含まれている)を正当化する論理として使われるようになり、イラク特措法については、国連決議で正当化すらされていないアメリカのイラク占領を支援するための活動に、同様の論理が援用された。
そして、昨夏の安保法案の審議では、この弾薬はセーフだがこの武器はアウト、というもはや軍事的現実性から全く乖離された珍論答弁が繰り返されるようになってしまったのである。純粋な軍事的見地からすると、もはや他国の武力行使とは一体化していると評価されても仕方がない。

ここで集団的自衛権の行使容認の憲法解釈の転換は重大な事態を招くことになる。
実は、同盟国のアメリカはICJのニカラグア事件判決を無視し続けている。その結果、国際法上違法とされている軍事支援や軍事行動を何度も実施してきた。2003年のイラク戦争はその代表例であろう。
結果、国際法上違法な武力行使に該当する兵たん支援を、日本が実施するリスクは非常に高い。その結果、武力行使を受けた他国が、日本の自衛隊に個別的自衛権を行使して、国際法上合法に反撃することが理論的に可能となる。もし、自衛隊がこれに反撃した場合は、立派な武力行使だ。
むろん、そのことは、憲法9条1項に定める「国際平和を誠実に希求」する義務に政府は違反する、ということである。

この重大な矛盾点を、政府の憲法解釈の転換は、何ら解決していないのである。

(続く)

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by foresight1974 | 2016-03-20 09:51 | 9条問題

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