報道ステーション「憲法9条の提案者は幣原」説は正しいか(前編)

不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる。(シャーロック・ホームズ)




ネット上で、憲法9条の提案者を巡る議論が活況を呈している。
きっかけは、25日に放送された報道ステーションにおいて、岸政権時代の憲法調査会の肉声テープを公開したことだ。
これは、1958年7月10日に開催された憲法調査会において、憲法草案作成時に首相だった幣原喜重郎の証言で、憲法9条の提案者は自分だ、と述べたものである。

【お詫びと訂正】
取り消し部分は、その後再度内容を確認した結果、完全な誤りでした。
正しくは、
①昭和37年7月21日に開催された、第八回地区別公聴会における、中部日本新聞社政治部長・小山武夫による証言
②昭和32年12月に、憲法調査会会長・高柳賢三の海外調査時に、マッカーサーとの間に交わされた書簡に基づく、マッカーサーの証言
でした。お詫びして訂正いたします。
詳細な資料の検証は、補論に記してあります。

憲法調査会の肉声テープを発見したこと自体、憲法制定史にとっては貴重な資料となるものだ。
しかし、この肉声テープを根拠に、「憲法9条は日本人が作った」「憲法9条はアメリカの押し付けではない」といった結論に至るのは、性急過ぎて全く賛成できない。むしろ、こうした単眼的な報道のされ方が、従軍慰安婦問題を巡る報道がそうであったように、後に大きな禍根を残すことになりかねない。

というわけで、本稿では「憲法9条提案者=幣原」説(幣原説)に対するいくつかの違和感を表明しておきたい。
以下の見解は、憲法制定史研究の第一人者として知られる、独協大学教授・古関彰一「日本国憲法の誕生」(岩波現代文庫)に大きく依拠するものである。

実は、幣原説自体は目新しいものではなく、証言当時、朝日新聞をはじめとするメディアも大きく報じており、かねてから有力な学説として知られていたものである。
主な根拠は、幣原自身の証言のほか、GHQの最高責任者であったマッカーサーが1951年に米議会での証言、そして、幣原が枢密院顧問・大平駒槌が語った内容を、大平の娘・羽室ミチ子が聞き取ったものとされる「羽室メモ」の存在がある。
一見、当時のGHQ、そして政府の最高責任者の双方から期せずして同じ証言が飛び出し、これを裏付ける関係者の娘が残したメモもあったことから、先に述べたように幣原説は最も有力な説であった。安定した歴史研究に依拠していることで知られる小学館の日本史マンガにおいても、幣原説に基づく描写がみられる。

しかし、憲法制定史の研究が進展してくるにつれ、この説にいくつかの難点が指摘されるようになっている。
最大の難点は、なぜ幣原は、当時、憲法改正作業を進めていた松本委員会に戦争放棄条項の挿入を指示せず、まるでGHQの制定作業を知っていたかのようにマッカーサーに提案したのか、という点だ。
時系列で整理すると次の通りである。

①1945/12/8 松本四原則が発表。憲法改正の基本方針が示される。
②1945/12~1946/1 GHQ内で憲法改正の準備作業が進められる
③1946/1/24 幣原がマッカーサーを訪問、このとき、幣原がマッカーサーに戦争放棄のアイデアを提案したとされる。
④1946/2/1 毎日新聞をはじめとした一メディアが、松本委員会の憲法改正案をスクープ
⑤1946/2/3 マッカーサー三原則(非公開) 日本の非軍事化の方針を示す
⑥1946/2/8 松本案がGHQ側に提示
⑦1946/2/13 GHQ案がはじめて日本側に提示、当時居合わせた幣原と松本は同案に反対したとされる。

この中で、GHQの改正作業は⑦で日本側に提示されるまで、日本側に極秘で行われている。もし、幣原がマッカーサーに戦争放棄を提案したというのすれば、彼の立場からは筋違いな提案をしたことになるし、そうでないとするならば、GHQの憲法改正の動きを知っていたことにならないと辻褄が合わない、が、これは事実に反する。
また、⑦で指摘しているように、幣原も当初はGHQ案に反対している。幣原説ではこの矛盾も説明できない。
そもそも、彼の当時の立場からすれば、戦争放棄の意向は、松本四原則が発表される①の段階で当然に示されるべきだったはずだが、松本四原則にはそうした記載はないし、松本に指示したという証拠や証言は全く存在しない。
当時、政府側で憲法改正作業に携わっていたのは、松本委員会のメンバーもそうであったように、これに先立つ近衛案を起草した佐々木惣一も、当時の日本において、当代一流の法律家であった。
明治憲法が機能していた時であり、首相の地位は決して高くなかった。同輩中の首席、という言葉の通りである。強力な指導力を発揮できる立場にない幣原が、こうした法律家たちを差し置いて、マッカーサーに単独で、松本四原則にもない憲法改正条項を提案をする、というのはいかにも不自然である。

むしろ、憲法9条はマッカーサーの提案だったとする方が、説明の辻褄が合ってくる。
GHQは⑤の翌日、つまり2/4~12にかけて憲法改正作業を一気にまとめ上げていくが、当初の分担表に戦争放棄の項目はなかった。戦争放棄条項は、後日マッカーサーの直接の指示によって入れられたものである。
前掲の古関「日本国憲法の誕生」によれば、マッカーサーは当時、日本本土の非軍事化と沖縄の軍事要塞化を企図していたとされ、日本周辺を巡る軍事情勢の変化については、これで十分足りると考えていたようだ。
当時、日本周辺において圧倒的な軍事力を保有していたのはアメリカ軍であり、ソ連陸軍は強力ではあったが、渡海して攻撃する能力はほぼ保有していなかった。中国は国民党と共産党の対立が再燃し、朝鮮半島は2つの国家に分断される目前である。
こうした状況にあって、マッカーサーが、黄色人種と見下していた日本人から、軍事的に大きな打撃を受けた国の司令官として、日本の非軍事化の徹底を企図したとしても何ら不思議ではない。
しかも、これはマッカーサーのほぼ独断であった。
このため、アメリカ政府とマッカーサーは、後に深刻な対立を続けていくことになる。

(中編に続く)


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by foresight1974 | 2016-02-28 00:05 | 9条問題

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