集団的自衛権の「解釈改憲」はなぜ間違っているのか(5)


<憲法前文から導かれる解釈の枠>
(1)政府の行為による戦争の禁止
(2)政府の安全保障政策の基本は、「平和を愛する諸国民との」国際協調主義によること
(3)(全世界の)国民に平和的生存権が保障されること

<憲法9条から導かれる解釈の枠>
(4)日本国民(ひいてはこれを代表する日本政府は)正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する義務がある
(5)(国際紛争を解決する手段としての)国権の発動としての戦争の永久放棄
(6)(同)武力による威嚇の永久放棄
(7)(同)武力の行使の永久放棄
(8)(4)~(7)の目的を達するための戦力の不保持
(9)国の交戦権の絶対的否認

この9項目を分析的に検討してみる。




順番は前後錯綜するが、上記9項目のうち、理論上もっとも根幹的なものは、(3)である。
憲法の目的は、最高法規として人権規定を定め、政治権力を分散して個人の尊厳を擁護することにある。(3)は残り8項目を統合的に理解するうえで、基本部分をなす権利である。

この(3)の平和的生存権を保障するために、政府に(1)のように前文において戦争を禁じ、それを具体化したものが(5)~(9)、
戦争を禁止するだけではなく、政府の戦争回避の基本方針を定めたのが(2)で、それを(4)で明確に義務付けている、
という関係に立っている。

さて、集団的自衛権はこのうち、どの解釈の枠に抵触するだろうか?
一見、(1)とそれを具体化した(5)~(9)に抵触するというのが素直な見方だろうが、現在の政府解釈によれば、政府は、自衛・侵略を問わず戦争は全て禁じられているが、自衛権は禁じられておらず、自衛権の行使する必要最小限度の範囲において、自衛力を保持・行使することができるという、テクニカルな解釈によってこの解釈の枠を回避しており、政府の解釈改憲を批判する決定打にはなりえない。

では、(2)と(4)はどうだろうか?
実は、私はこれが正解だと考えている。
現在の政府解釈によれば、「国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利をいう」とされている。他方、政府は第9条第1項により国際平和を誠実に希求する義務があり、これは単に倫理的な努力義務を定めたものではない、と私は考える。
アジア・太平洋侵略戦争の惨禍の後に誕生した日本国憲法は、その真摯な反省と、政府の行為による国際紛争の軍事的解決を徹底的に否認する思想に立脚している。従って、国際平和を誠実に希求する義務というのは、たとえ”平和のため”であれ、集団的自衛権の行使を正当化しえない。あくまで紛争の「平和的解決」を誠実に希求する義務を、政府に対し、法的義務として課しているものである。

従って、政府が集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を行うことは、日本国憲法で定められた解釈の枠を逸脱している。憲法9条1項に明文で違反し、違憲と結論する。

さらに、政府が集団的自衛権を行使するうえで、理論的に解決していない問題がもう1つある。それは次回に詳述する。

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by foresight1974 | 2016-02-27 09:38 | 9条問題

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