集団的自衛権の「解釈改憲」はなぜ間違っているのか(4)

そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
(文部省「あたらしい憲法のはなし」)




(つづく)

 他方、日本国憲法における解釈の枠は、どのように求められるだろうか。
 実のところ、これに対する答えも一定ではない。天皇の国事行為(第7条)のようを定めた厳格に解釈されているものもあれば、第13条や第89条のようにきわめて緩やかに解釈されているものもある。
 だが、日本国憲法全般にわたって、解釈の枠となる基準を定めている手がかりが明文上存在する。
 それは前文である。

 前文は通常、憲法や法令の前におかれ、当該憲法・法令等の制定の趣旨、目的、基本原則などを書き記しているが、日本国憲法の場合、 平和主義に関する前文は次の通りである。
 「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」(第1段)
 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」(第2段)
 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(同)

 いずれの文章も、本文中にあるように「崇高な理想」を掲げるものであって、ただちに解釈の基準が定まることは困難であるようにみえる。
 しかし、
・ 諸国民との協和による成果を確保すること
・ 政府の行為によって戦争の惨禍が起きることを防止すること
・ 恒久の平和を念願すること
・ 平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、日本の安全と生存を保持すること
・ 全世界の国民が、平和のうちに生存することを確認すること 
 といったように分解すると、少なくとも、
(1)政府の行為による戦争の禁止
(2)政府の安全保障政策の基本は、「平和を愛する諸国民との」国際協調主義によること
(3)(全世界の)国民に平和的生存権が保障されること
 という原則は見出すことができる。

 これを具体化したものが第2章・戦争の放棄を定めた第9条であって、
 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」(第9条第1項)
 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」(第9条第2項)
 となっている。
 ここからはさらに、
(4)日本国民(ひいてはこれを代表する日本政府は)正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する義務がある
(5)(国際紛争を解決する手段としての)国権の発動としての戦争の永久放棄
(6)(同)武力による威嚇の永久放棄
(7)(同)武力の行使の永久放棄
(8)(4)~(7)の目的を達するための戦力の不保持
(9)国の交戦権の絶対的否認
 という「条文上の枠」が見出される。

 つまり、法律上のシステムとしては、具体的な条文(4)~(9)は、(1)~(3)の解釈の原則に従って解釈されなければならない、ということになるが、ここから直ちに個別的・集団的な自衛権を肯定・否定できるかは実は不明瞭である。

(つづく)


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by foresight1974 | 2015-08-09 13:47 | 9条問題

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