与那国島住民投票 基地反対派はなぜ敗れたか(前篇)

「憲法と平和」とくれば、憲法に反する自衛力の保持を断固糾弾し、その一日も早い完全廃棄と理想の平和国家建設を目指すべきだという剛毅にして高邁なるお考えの方もおられようが、そういう方に本書は全く向いていない。
(長谷部恭男「憲法と平和を問いなおす」ちくま新書)




 沖縄県・与那国島に陸上自衛隊の沿岸監視部隊の配備を問う住民投票は、2月22日に投開票が行われ、配備に賛成する意見が多数を占めた。
 過去2回の町長選挙で賛成派が勝利したうえ、投票率80%の住民投票で60%近い賛成を得たのだから、賛成の民意が示されたと解するに十分であろう。
 そこで本稿では「なぜ反対派は敗れたか」という点に絞って論じたい。
 
 よくこうした問題で反対派とされる人々は、自己の意見に支持が集まらない理由に、大衆がなかなか平和の問題に関心を持たないという趣旨の意見を口にする。
 その意見の背景には、「本当はみんな平和を望んでいる」「軍隊なんてない方が良い」という暗黙の前提があるように思われてならない。
 その楽観は危険である。それを今回の住民投票は如実に示したのではなかろうか。

 米軍基地の反対運動が盛んな沖縄本島ですら、「本音はみんな反対」はマジョリティーとは言い切れない。
 1998年に太田昌秀が稲嶺憲一に敗れて以降、3回、基地反対派が推薦した沖縄県知事候補は選挙に落選している。昨年こそ翁長雄志が当選したが、元は自民党沖縄県連に所属していた人物である。彼が地盤とした保守票と前任の仲井眞弘多の、普天間基地をめぐる発言への批判票がなければ、当選していたかどうかはわからない。

 自分と同じことをみんなが思っている。という誤解を反対派が共有していたとしたら、事態は深刻である。
 憲法学者の長谷部恭男は、冒頭に引用した本の中で「組織的不服従運動が平和の維持と回復につながるという主張は、戦争と平和にかかわる問題の意義を劇的に小さくするほど、人類一般の理性と良識を信ずることができるという想定に基づいている。そこまで人類一般が理性的であり、良識的に行動するものであれば、われわれは戦争と平和について深刻に考える必要はないはずである」という重要な指摘している。
 むろんのことならば、そんなことは反対派自身ですら思っていないはずである。
 とすると、なお基地に反対する、軍隊に反対するという主張は、非暴力による平和が「道徳的に正しいから」という主張も考えられる。
 が、これは立憲主義と矛盾するという重大な指摘を長谷部はしている。
 「個人レベルの倫理として語られるのであればともかく、それを国の政策として執行することは、国を守るために前線へおもむくよう個人を強制する措置と同様」だというのである。
 この長谷部の指摘に、与那国島の反対派はどのように回答しえただろうか。

 配備に賛成した住民たちは、戦闘職種でない監視部隊がわずか100人配備されただけで、「離島防衛」なるものが成し遂げられるとは考えていないだろうし、そもそも日常的に積極的に空自、海自の哨戒活動が行われている地域に陸自の監視部隊まで配備する軍事的合理性が疑わしいのであるが、おそらく住民たちの問題意識はそこではなかろう。
 配備と同じく提示された島の振興策といった、もっと現実的な打算のはずである。
 その打算に対して、道徳的な主張は説得力を持っていない。なぜなら、賛成派の人間には「頭ではわかる。でも現実的ではない」からだ。プライオリティは下なのである。彼らの意識を覆せるものではない。

 では、どのような意見なら説得力を持ちえただろうか。(つづく)

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by foresight1974 | 2015-03-01 12:17 | 9条問題

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