青色LED訴訟:9年後の再検証(3)/中村修二のノーベル物理学賞受賞への「疑問」・下

 実は、ここまでの事実関係の整理は、「日経ものづくり」2004年6月号、2005年2月号に掲載された近岡裕の記事に拠っている。中村とは正反対の立場からの、いささか一方的な意見のように読まれる読者もおられるかと思うが、私は、彼の記事は、真相に近いと考えている。
 根拠は2つある。
1つは、後でご紹介するように、同志社大学教授・山口栄一が自身の論文の中で、上記に近い事実関係を独自の調査で明らかにしていること。
 もう1つは、中村修二と当時の担当弁護士升永英俊の訴訟戦術である。





 この訴訟の特徴的な点は、前記したように技術は数多くの「特許」から構成される特許グループで守られるものであるにもかかわらず、404特許ただ1つの特許が訴訟物、つまり訴訟の対象とされていることだ。知財の常識から考えれば、特許1つが何百億もの価値を生み出すことはありえない。ちなみに、前掲の山口の論文によれば、この他に2つの基本特許があり、計3つが同価値を有している、と論じている。
 が、中村らはなぜか特許の対象を1つに絞った。それはなぜか。
 理由は明確に語られていないが、私は、他の特許の発明者に、前記事で紹介した日亜化学に真の利益貢献を果たすことになる量産化技術を開発した技術者の名前が含まれていることと無関係ではないと考えている。法律上、特許対価を求めるにあたり共同発明者に了解が必要なわけではない。訴訟も個人単位で可能である。また、提訴にあたり担当弁護士の升永は「銭ゲバの話になる」と宣言すらしていたのである。にもかかわらずより価値のあると思われる特許が訴訟の対象にならなかった。
 要は、他の特許も訴訟の対象に含めると、発明にまつわる事実関係を白日の下にさらさざるを得なくなり、議論がヤブヘビになることを恐れたのではないだろうか?と私は推理している。

 そこで疑問を提起したい。
 私は、中村の発明についてノーベル物理学賞の受賞に値するかどうかを判定する知見はもとよりない。が、仮に彼が受賞に値する発明を成し遂げたとするならば、実は他にも受賞に値する人物がいるのではないか?
 その意味で、今回の物理学賞の受賞者3名の存在はなかなか示唆的である。中村を除く、赤崎・天野の2名は、報道にもある通り、青色LEDの発光体となる材料を先に発明していた。中村の業績は、量産化にあたって、あくまで既存の技術を統合した部分に限られる。
 そして、赤崎は、当時在籍していた名古屋大学で、豊田合成との共同研究で、別のアプローチで青色LEDの開発にあたっていた。日亜化学との激しい開発競争は、1996年には特許訴訟に発展。7年にわたる泥沼の訴訟合戦を繰り広げることになる。
 しかし、その訴訟の中心論点はやはり404特許ではなかったのである。

 ここで、改めて村上の問題提起に戻りたい。
 改めて思うのは、青色LEDにまつわる発明に関する、あたかも発明が誰かの「ひとりじめ」であるかのように議論するナンセンスぶりである。
 近岡や山口らが明らかにしてきたように、青色LEDの誕生にあたっては、多くの人間が関わっている。議論は後に譲るが、経営陣の英断がなければ、日亜化学がこれだけの業績を叩き出せたかどうかすら不明である。当時、青色LEDの開発にしのぎを削っていたのは日亜化学や豊田合成だけではなく、日本の名だたるほとんどの企業が開発に参入していたからである。そして、これらの開発の多くが学会等の場において発表され、ある程度、互いに開発の方向性を推知することができた。
 中村が宝の山を掘り当てたことを腐すつもりはないが、彼が「ひとりじめ」する資格があるように論じられ、報道されるのは間違いである。

 ましてや、彼はその研究をいわば「強盗同然」に米国企業に売り渡そうとさえしていたところを日亜化学の攻撃を受けて、研究が立ち行かなくなるほど追いつめられることになる。実は、それを救ったのは彼が最も罵詈雑言を浴びせた日本の司法であることに、彼は気づこうとしていない。

(つづく)

※参考文献・リンク
近岡裕「青色LED訴訟の「真実」問われる相当対価「604億円」の根拠」(日経ものづくり2004年6月号・日経BP社)
近岡裕「中村氏の陰で見えなかった貢献者たち 10年を経て東京高裁が成果を認める」(日経ものづくり2005年2月号・日経BP社)


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by foresight1974 | 2014-10-18 12:44 | ビジネス法務

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