宇沢弘文が決して諦めなかったもの

新古典派理論では人間をたんに労働を提供する生産要素として捉えるという面が強調され、社会的・文化的・歴史的な存在であるという面が捨象されている・・・、したがって、自動車通行によって基本的な生活が侵害され、市民的自由が収奪されている、という自動車の社会的費用のもっとも重要な側面に十分な光を当てることができない。
(宇沢弘文「自動車の社会的費用」岩波新書)




 宇沢弘文が亡くなった。

 東京大学数理学部を卒業後、経済学に転じ、スタンフォードやシカゴで教鞭を取る。ベトナム戦争に反対して帰国後、東京大学教授となって「自動車の社会的費用」を著し、以後、行動する経済学者として水俣病や成田空港問題に積極的に関わっていく。
 ノーベル経済学賞に最も近いと長年言われ続け、ついに受賞は叶わなかったが、本人はきっと頓着していないに違いないと想像している。

 「自動車の社会的費用」を皮切りに、昨年上梓した「経済学は人びとを幸福にできるか」まで、倦むことなく発言を続けた宇沢は、戦乱に明け暮れる中世ヨーロッパで一貫して平和への訴えを続けたエラスムスのように、70年代以降急激に進行する一般大衆の保守化と社会問題への無関心に抗い続け、水俣病が歴史の教科書に載った80年代後半にあっても、その思想的要石は、決してぶれることがなかった。

 思想の凄いところは、直接政治家を動かすようなものではなくても、陰に陽に様々な人々に影響を与え続け、その影響が様々な形で表れてくるところにある。宇沢が後年キーワードに据えた「社会的関係資本」も、現在、まち作りに携わる行政関係者の中で、知らない者はいない概念の1つであろう。それが、時の為政者のご都合主義によって歪曲されることがあっても、後に続く者の中からそれを阻止する者も出てくる、思想の強靭さとは、そういうものである。

 私たちの世代は、宇沢が40年前に提起し、諦めることなく挑み続けた課題を引き継がなければならない時期に来ている。それは、宇沢の「思想」を引き継ぐというだけではなく、「気概」を引き継ぐということでもある。

 

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by foresight1974 | 2014-09-28 15:49 | サイレント政治・社会評論

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