社説の比較検討で浮かび上がる「ウヨクの錯誤」(By foresight1974)

 さて、NHKの番組改変問題について、チャット上のお喋りで重要な示唆を受けたので、それを書き記しておきたい。

 話がいささか抽象的になるので、ここで各紙社説を比較検討することによって具体的に明らかにしていこうと思う。

 そもそも、私は人間的好き嫌いというレベルでウヨク的人々は大嫌いである。まあ、マユツバものとして読んでいただければ結構なのであるが、この問題に対する彼らの主張はおおよそ以下の点に要約される。

1、そもそも番組自体が公平ではない
2、安倍氏らは「公平にやってくださいね」と言っただけで圧力はかけていない
3、NHKは自主的に番組の改変を行ったのであり、朝日の指摘は捏造

このうち1については、筆者の1月13日のブログ「安倍晋三の発言にかいま見える「公平を装った無知」(By foresight1974)に詳しいので反論を省略する。

 今日は、このうちの2と3の部分について以下、論じていくことにするが、産経新聞は安倍氏と心中するらしく、1の部分の指摘しかないので今回は取り上げない。また、日経社説は他紙と主張が重なっているので省略する。




 まず、朝日新聞の主張を検証してみよう。
 1月13日の朝日新聞の社説はこれまでの事実経過を説明した上で、「このような行為は憲法が禁止する検閲に通じかねない」と強く非難している。また、18日の18面に特集記事を掲載し、これまでの事実経過を克明に明らかにしている。
 しかし、朝日新聞の指摘は「圧力」の本質を炙り出すには決定的なものに欠けるという印象が否めない。1月18日の18面に掲載された特集記事についても、生々しいやりとりが記述されてはいる。が、そのほとんどが物的証拠に欠け、インタビューなどの伝聞で占められている。そこがネットウヨクたちがネチネチ穿り返す理由を与えているように思える。
 それは朝日が描いた「政治家のあからさまな圧力によってNHKの現場制作者が作った番組が変えさせられた」という構図に無理があるからである。圧力があった、ないという点が朝日やネットウヨクたち、巷の焦点とも言っていいのだろうが、何度も書いているように核心的な部分はそこにはない。また、そうしたストーリーを証明するような決定的な言動、言質のようなものが必要であろうが、朝日の記事からそうした決定的証拠がない。「言った、言わない」の水掛け論に完全に陥っていると言えるだろう。

 その点、読売新聞の社説はうまく立ち回っていると苦笑してしまう。
 1月15日に掲載された社説の主張はただ1点、「制作現場の自由を無制限に認めてはならない」というポイントに集中している。
 読売によれば、番組を改変したのはあくまでNHK自身であり、「放送局の編集責任者は、現場が制作する番組の内容がこれ(公平をうたった放送法3条)に反する場合、政治家に指摘されるまでもなく、是正しなければならない」と主張している。巷で焦点となっている中川氏や安倍氏の言動については、両者の主張を紹介しつつ、「一部に、依然、不明な部分がある」と指摘するにとどめている。
 そもそも不公平な番組だ→NHKは誰の命令でもなく編集責任者の判断で番組を改変した→問題は無いというロジックは一見、筋が通っていて、問題は無いように見える。まあせいぜい、あんなワガママなトップが君臨している新聞なら、「現場の自由」などという発想は危険極まるものに見えて仕方が無いのであろう、などと嫌味が思いつくくらいか。(笑)
 しかしながら、巷の焦点をスルーしたこの読売のロジックこそが、まさに「権力の本質」を炙り出してしまったということに、おそらくは気付いていまい。

 ここで、毎日新聞の主張が意味を持ってくる。1月15日の社説によれば、「そもそも事前に、しかも密室で番組内容を政治家に「ご説明」すること自体が報道機関として異常なのである。」と指摘している。そこから圧力に持っていく毎日の主張は、巷の焦点に引っ張られていて核心をついていないと考えるが、重要な指摘である。
 一例を挙げるならば、イラクの独裁政権が崩壊した後も、フセイン残党が手練手管を尽くして激しい抵抗を続ける理由を理解出来ない日本人も多いはずだ。アメリカ政府が言う所の「残忍な独裁政権(別に否定はしないが)」が崩壊したにも関わらず、おそらくは永遠に復活しないであろうフセインに忠誠を尽くす必要が何処にあるのだろうか?
 だがそれも、「フセイン政権はフセイン一人の絶対的支配ではなく、フセインを中心とした圧制のシステムだ」という発想を持てば疑問は氷解する。つまり、彼ら残党達にとっては、新政府の報復の恐怖やアメリカへの復讐などという、日本のウヨクあたりがいかにも思いつきそうな考えで武器を取っているのではない。フセイン政権下で利権の密を吸い、またそれが生活の基盤をなしてきた人々にとっては、彼らが命がけで戦う理由が存在するのである。
 おそらくはNHKの上層部にもこうした構造はあるはずである。そうでなければ、番組の放送前に、自民党の有力政治家に幹部達が「ご説明」に伺う理由などない。事は制作現場の自由とかいうキレイゴトの話ではない。権力の思惑を読み取り、周囲が事前に調整するという日本的な問題解決システムが働いただけではないだろうか。
 だから、筆者が見たところ、安倍氏が穏やかに「公平に放送してくださいね」と言っただけで済ましたという話はおそらく事実だと思う。それで彼らの思惑通りに番組が改変されるからであり、ご説明に伺ったNHK幹部にもそうした読みはあったはずである。
 別に不思議なことではない。これを読まれている日本の会社勤めのサラリーマンの多くが、無意識的に上司の思惑を読んで仕事をしているのだから。

 歴史作家の塩野七生は、エッセイ集の「サイレント・マイノリティ」の中でイタリア首相のアンドレオッティの言葉を引用して「権力はそれをもたない者を消耗させる」と書いている。私流に意訳するならば、「権力はそれを持つものより、その近くにいるものを堕落させる」ということになる。そして厄介なことに、彼ら自身にとってはNHKを支えているのは自分達だという独善的な錯誤がある。だから、朝日や毎日が何を言おうと決して主張を曲げることはないだろう。
これは忠誠という次元ではない。

 おそらくは、NHKにも産経にも読売にも同じ体質はあると思われる。この国に政権交代が起きなくて久しいが、自民党支配はこうしたシステムに守られることによって続いているのである。
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by foresight1974 | 2005-02-11 19:53 | 表現の自由への長い道距

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