自由な社会の試練

(同時多発テロの現場近くに―と、いっても2ブロック離れていて今まで問題にされていなかったが―モスクを建設しないことは)「思いやり」という主張の本質がイスラム教への偏見という理不尽なものであることを理解すれば、現行の予定地にモスクを建てていけない理由はない。あの場所で以前から祈りを続けているイスラム教徒らに対して、自分たちの本能的な嫌悪感を鎮めるために生活を変えるよう求めるのは間違っている。私たちは嫌悪感を乗り越えることができるし、乗り越えるべきだ。
(ウィリアム・サレタン「モスク建設反対論の薄っぺらな本音」 ニューズウィーク日本版オフィシャルサイト2010年8月24日)



NYの911テロ現場“近く”でのモスク建設問題は、コーランを焼こうと呼びかけた愚劣な人物によってセンセーショナルな展開となってしまったが、それでもこのような小人が役に立つこともあるもので、このような発言がおおっぴらに許されてしまうアメリカ社会の歪んだ偏見を炙り出した、という功績は認めなければならないだろう。

以前、オクラホマで狂信的なキリスト教徒によって連邦政府ビルが爆破され、200名もの人命が失われたとき、現場近くに教会を建てるのは「思いやりに欠ける」などとは聞いたことがない。
が、911が狂信的なイスラム教徒によって引き起こされたとき(ちなみに、このように犯人を公式に断定しているのは世界広しといえど、アメリカ政府だけである。)、現場近くにモスクを建てるのは「思いやりに欠ける」と批判される社会なのである。
それも世論調査によれば、70%もの人々が支持しているのである。
アメリカの正義感は深刻な危機に直面している。

救われる思いがするのは、こうした偏見に立ち向かう人々が少なからず存在することだ。
報道によれば、911当日、モスク建設に賛成する人々が現場近くで集会を開き、中にはテロ事件の犠牲者の遺族もいたという。
このような人々の声を目に出来る限り、まだアメリカの多様性と自由社会にまだ希望は残されていると思う。

そして、これが日本のような同調圧力がケタ違いに強い社会だったらと思うとぞっとする。
おそらく、反対の姿勢を公に鮮明にして、自らの社会的リスクを負って立ち向かう人々はずっと少なかったであろうし、ゼロだったとしても不思議ではないからだ。
この国には試練を受け止める覚悟が足りないのである。
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by foresight1974 | 2010-09-12 09:20 | サイレント政治・社会評論

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