「外国人参政権を阻止するオフ」に見える日本の市民運動の問題(By foresight1974)

 本人達には不本意かも知れないが、最近、2ちゃんねるのあるスレッドを定点的に見守っている。
 「外国人参政権を阻止するオフ」はすでに6スレッド目となり、臨時国会に提出された定住外国人に地方選挙権を与える法案への反対運動を進める人達の「たまり場」的存在となっている。
 しかしながら、当事者達の奮闘とはよそに、この問題が世論的に盛り上がりに欠けている。それはどうしたことだろうか?

 私がこの運動を知ってまず思い出したのは、「癒しのナショナリズム」という本のことだった。




 扶桑社が編纂した「新しい歴史教科書を作る会」の有志団体に対する社会学的調査を通じて明らかにされた彼らの実態は、自分たちを無前提に「普通」と定義しながら、自分と異なる価値観を持つ他者を嘲笑することによってつながりあっているだけという、何とも寂しい組織実態だった。
 北朝鮮攻撃せよなど、危険な論調で知られる現代コリア研究所の西岡力が講演に来たとき、彼らはこんなフレーズのときに共通の「苦笑」をもらしたという。

「宮沢さんが(韓国政府に)8回謝ったとき」
「「親切な」日本人が韓国人女性の(個人補償)請求訴訟を支援」
「韓国が「朝鮮総連を取り締まれ」といってきたとき、日本政府は「憲法で人権が保障されているので出来ない」と答えた」


「「史の会」の参加者たちを観察して強く感じたのは、「価値観を共有している」ことを示すためにある特定の言葉が繰り返し用いられているということだ。「朝日」「北朝鮮」「サヨク」という言葉は、非常に心地よいフレーズとなって参加者の耳に響いている。」


そして、著者の一人、上野陽子はこう指摘する。

「逆にいえば「弱気な日本」を笑うことくらいしか、会員全員に共通しているコードはないのではないか。「つくる会」としてのまとまりは、まず幹部たちがお互いに衝突することによって破壊してしまった。「よき観客」は、「つくる会」のどこまでを自分たちのものとして吸収し、笑えばよいのかが判断できず、わかりやすい仮想的の言葉を引き合いに出すほか無い、といった状況に置かれている」138~139ページ)」


 さて、さきほどの「外国人参政権を阻止するオフ」の会の動きに戻ろう。
 すでに過去ログ落ちしているので確かめることが出来ないが、スレッド上において、会員達の間にしばしば意見の衝突が見られた。どういういきさつかは不明だが、彼らが集めた反対の署名を石原慎太郎東京都知事に提出するという話になったとき、段取りの違いや説明不足から、渡した渡さない、本当のことを言っている言っていないという衝突に発展した。きっかけは、女性と思われる会員が「石原慎太郎に渡したというのは実態からかけ離れていた」と暴露したことから始まったことだが、結果として古参と思われる会員数名が運動本体から離脱するということになった。

 問題はまだある。「なぜ法案に反対なのですか?」という点に対する政治的スタンスの違いが運動にギクシャクした印象を与えていることだ。ある者は理詰めで国家観、民主主義的視点から反対し、またある者は情緒的な定住外国人(はっきり言えば在日朝鮮人)に対する蔑視的な反対論を唱えている。この論争が起きるたびにスレッドは荒れ、何人かの心ある会員の脱退にもつながっているようだ。(ちなみに、このスレッドは2ちゃんねるの「大規模OFF」板に設けられているので、そもそも議論的なものを目的にしていない)

 前掲「癒しのナショナリズム」の著者の一人、小熊英二は慶応大学のホームページにコメントを寄せて「彼らに聞きたいことは「そんなことをして楽しいですか?」ということだ」と記したのは、自己満足的な運動と独善的な思想傾向を持つ彼ら(作る会の有志団体)に対する婉曲的ながらも痛烈な批判であった。

 「外国人参政権を阻止するオフ」の会はそうした難点を乗り越えられるのか。けだし見物である。
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by foresight1974 | 2004-11-23 18:32 | 表現の自由への長い道距

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