年頭所感「対話の回路が脅かされる時代に」

 首都から北西400キロ、チグリス川のほとりに広がる北部最大の都市モスル。様々な宗派や民族が幾世紀も共存してきたが、いま非イスラム教徒の少数派の脱出が続く。

 古くから伝わる少数宗派ヤジディの信者、主婦バラン・ハルフさん(58)はモスルから25キロ離れたシェハーンという町に移り住んで2年近くがたつ。息子の工場が襲われ、信仰を同じくする従業員24人が殺されたからだ。

 「早く逃げろ、と隣人が車を出してくれた。死んだ夫の写真すら持ち出せなかった」。11人の子供を連れ、32年住み慣れた町を出た。以来モスルには戻っていない。

 昨年10月にはキリスト教徒の暗殺事件も起き、3週間でキリスト教徒1万3千人が逃げ出した。民主主義の物差しとされる少数者の権利が守られない状況が広がっている。

(朝日新聞2009年1月3日「〈連載―世界変動〉民主化、米国の挫折」より)




 上記の記事は、今日の朝日新聞朝刊に載っていたものである。
 イラク戦争から6年。去りゆくジョージ・ブッシュ・Jrの強弁とは逆の真実、民主化にはまだまだ「遠い夜明け」のイラクの真実が描かれている。

 そして、これは果たして遠い国の出来事であろうか?
 と私は考え込んでしまう。

 無論、日本では少数派の宗教を信仰する者へ、このような暴力が振るわれるような国ではない。
 だが、暴力が振るわれないことと、安全であることは違う。日本国憲法の建前とはうらはらに、現実は決して言論の「安全」が保障されている国ではない。
 その1点において、イラクと日本がどれほど違うというのだろうか?

 mixiで政治的言論を扱うコミュニティに参加して3年ほどになるが、痛感するのは、異なる見解に対して寛容さのない人がいかに多いか、ということだった。
 ないというだけではなく、おまけに暇ときたものだから、同じ仲間と独特の空間を形成し、反対の見解を持つ者から「何か一言」あろうものなら、ピラニアが群がるがごとく嘲笑のレスをつけ続け、容易に寄せ付けない空気を形成する。
 そんな空間を彼らは「自由」だと嘯く。

 だが、それは真実の「自由」には程遠い。
 社会的影響力を持ち得ない、狭いコミュニティの中で、「気の合う」仲間達と群れているだけで、そうした儚い基盤のうえに築かれた居心地の良さを「安全」で「自由」だと錯覚しているに過ぎないのである。
 そして、そうしたコミュニティがお互いを脅かすことなく、それぞれ独立したコミュニティとして「住み分け」られている。

 問題なのは、こうした状況がネット言論に限られたものではない、ということだ。
 週末の朝、テレビをつければ各局でその週のニュース評論や政治討論番組を流している。
 だが、こうした番組の「ファン」はご存知だろうが、ここ数年、各局の出演者はほとんど固定化されており、放送法が理念とするような、「多様な意見」を紹介するような構成にはなっていない。視聴者は、そのときどきで自分の気に入った番組をボタン一つでチョイスでき、不快な番組を見る必要はない。
 そうした視聴者の気持ちを「忖度」して、番組が作られていることは明白である。

 こうした「内輪向け」のパワーは、あの田母神論文問題に典型的に表れた。
 田母神の論文の「程度の低さ」については、今さら改めてコメントする気にすらなれないが、更迭後、田母神を擁護する論壇誌の題名に、私は頭が真っ白になった。

■中西輝政
田母神論文の歴史的意義
■渡部昇一
「村山談話」は「外務省談話」だ
■西村眞悟
「村山談話」こそ更迭せよ!
■荒木和博
「虚構の国防」で国が滅びる
■西尾幹二
何に怯えて「正論」を封じたのか

 この何やら勇ましい題名の数々は、明らかに反対する立場の人々への挑戦でもなければ論駁でもない。自分たちを支持する「身内」へのアジテーションなのだ。その「中」に止まり続ける限り、彼らは自らの立場を脅かされるリスクを冒すことはない。「70年代の左翼運動の失敗を「右」で再現しているだけ」「無能な味方は有能な敵より危険だ」というような忠告が彼らに届くことは、おそらくあるまい。
 そして、こうした言説を再生産し続けることによって、彼らは自らの政治的立場への偏向を強め続けることになるだろう。それが正しいかどうかの検証を受けるかどうかは二の次の話だ。

 これが、一部の変人評論家のレベルにとどまるのではなく、mixiのような一般市民が参加するレベルに至るまで、日本社会に幅広く見られる、言論の機能不全である。
 異なる価値観を持つ者同士が公正な方法で対話する機会を持たず、それぞれの「お気に入り」の中で偏向した見解を強めていく状況は、健全な民主主義社会ではないというどころか、極めて危険な状況である。
 こうした住み分けられたコミュニティが混ざり合うことなく分裂している社会は、権力を持つ側からすれば、世論操作の容易な社会に映るだろう。

 日本国憲法が誕生して今年で63年になる。薄っぺらい改憲論はようやく下火になりつつあるが、憲法の「理念そのもの」を守ることが非常に困難な時代になった。
 そのことに腹をくくらなければならない。
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by foresight1974 | 2009-01-18 21:16 | 表現の自由への長い道距

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